金沢夜の喧噪と2日め③ | クルマーシーは日本にいるよ。

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今日もこんにちは。これから新しい生活です。

ホテルに着くと私たちは2時間ほど夕寝をした。くたくたに疲れて、眠かった。ベッドのシーツはパリッパリで、ベッドに寝ている気がしなかったけども、それでも2時間気絶したみたいに寝た。

7時過ぎに目を覚まし、重いからだを引きずりながら街に出た。
途中、私たちはささやかな喧嘩をした。ささやかながらも私たちは途方に暮れ、金沢の繁華街で立ち尽くした。寝起きなんてものは赤ちゃんだろうが、26歳だろうが23歳だろうが関係なく不機嫌になるものだ。
こんなわびしい状況でも、なんとか和食屋さんに入り、なんとかビールを飲み、鮎を食べ、牡蠣を食べ食べ、くじらを食べ食べ食べした。
帰路につき、今度は朝まで寝た。

2日目は21世紀美術館に行った。美術館はよっちゃんが想像していたよりも小さく、ちょうど私が想像していたくらいの大きさだった。ロン・ミュエック展がやっていた。

ロン・ミュエックといえばサーチギャラリーで始めて彼の作品"Dead dad"を見たときに私は「ハッ。」っとした。大きなギャラリーの真ん中で裸ん坊の小さいおじさんが微動だにせず横たわっているのだ。あまりのぞきこんで いたら、おじさんは目を覚ましそうだった。でも、どうしても見てしまう。生身の人間をここまでじっくり見ているとそれは失礼なことなのだけど、ロンの作品 を見ていても、なんというか少し失礼な気持ちになるのだ。誰かの人生をこっそり盗み見ているかのように。
彼の作品すべてにおいて、あまりにも作品の人々がリアルなのでそのサイズがさらにショッキングなものになる。もしくは自分自身の身体のサイズが不確かに なってくる。自分の位置と彼らの位置感覚を確かめながら、私たちビューアーはとにかく作品の人物像を心置きなく観察する。男の人の裸が実際どんなものなの か、生まれたての赤ちゃんの身体がどんなものなのか。しかし、それらはあまりきれいなものではなくむしろそのリアリティーが汚らしくも見えてしまう。男性 のたるんだ腹部や、女の人のすね毛のそり跡、シミ、しわ。身体におけるリアリティだけでなく、作品それぞれの雰囲気においても特に彼らは幸せそうには見え ない。ちょっと憂鬱な、疲労感を感じる。その総合的なリアリティーが作品とビューアーとの間にシンパシーを生み出すのだと思う。大きく言えば、こういった 人間の醜さも人間の存在の愛おしさなのだと思う。


Ron Mueck, Spooning Couple, 2005, Mixed Media
Ron Mueck, Spooning Couple, 2005, Mixed Media

美術館の喫茶店で昼食をとり、私たちは散歩に出かけた。
長町武家屋敷跡を歩く。雨上がりの夕方はなるほど素敵だった。低い屋根と狭い路地。

知らない土地というのは本当にわくわくしてしまう。
あたしもフウテンのくるさんになってしまおうかと思う。

つづく