東京にはここしかないと噂の小網神社
混んでた。
並ぶ。
もともとは西浅草(新寺町)の天台宗小細山稲荷院萬福寺。
恵心僧都が弁天さまと観音様をお作りになりお祀りしていたお寺ですよ。恵心僧都と言えば13世紀。
そこに太田道灌さまの時代に稲穂を持った翁が現れ、数日滞在したところ、当時蔓延していた悪病が去るであろうと言う御信託が村人に降りてその通りにしたところ、悪疫が平癒しました。網師の翁はもうおらず。
どこ行った?翁。
稲穂をもっていたなら、翁じゃなくて稲荷の化身の媼の間違いではなかろうか?失礼な。
いや、もともと稲穂の方が神なのか?
道灌様が土地を寄進し小網神社と名付けたとありますが、
江戸の地図には乗ってない。
中央区史によると、明治2年に神仏分離の煽りを受けてこの地にきたのだと。
おーい、話が食い違ってるよー。どっちがほんと?
そして、恵心僧都が作ったと言う弁天様の行方が知りたい。
今ある船に乗った弁天さまがそうなの?
室町期作にしては新しそうだねー?
なお、東京名所図会によると網師の翁の話しはなく、恵心僧都様がうかさまの尊像をお作りしたことになってます。観音様と福禄寿様のお寺におうかさまの神社を作ったと言うことらしい。
あまりの混み混みで登り龍下り龍の彫り物みれんかった、残念。
福禄寿様をなでなでして
弁天さまでお札の端っこ洗って、
スーツケースの人がたくさんいて、落ち着かないので、そそくさと立ち去ります。おみくじは右横で、べつにならぶ。たいしてこんでなかった。
次は椙森神社だ。