「やめた高校の学生証で売るゲーム」 | Cogito ergo sum

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方法的懐疑から頭が離れない人のブログ
相変わらず変な記事多目なのはいつものごとく。

ゆる~くお願いしますゆるく。

 ふと今日思い出した話だ。たしか、これはTBSラジオの番組「伊集院光 深夜の馬鹿力」のネタだっただろうと思う。言うまでもなく自分は高専を辞めているのでその切なさとかはなんとなく共感するものがある。

もちろん、高専を退学したからといって(少なくとも自分の認識の中では)同期からとやかく言われたこともなければ、むしろ結構温かい言葉を頂いて出てこれたと思う。同期にかぎらずか?とにかく、人には恵まれているラッキーマンが私だろう。

 ただ、ふとした瞬間に「負い目」を感じる瞬間があるもので、例えば辞めた当初であれば急を凌ぐ身分証明証として高専時代の学生証を使っていたり(まさに「やめた高校の学生証で売るゲーム」というやつだろうか(笑))していた。そのときには「いやー俺もうここんちの人間じゃないんだけどなぁw」と自虐気味に言いつつどこか冷たい風が吹くというか、そんな感じだった。

今でも実は高専時代の学生証を処分するに処分できずに未だに取ってある。見るたびに何か得体の知れない「負い目」を感じる。もちろん、だからといって高専をやめたことを未だに立ち直れないレベルで悔やんでいるわけではないのだけど。ただ、言い表しがたい「負い目」を感じる瞬間が確実にある。

 僕もやはり馬鹿でどうしようもない人間なので「高専をやめる」ということが資金的に~とか、そういうショックよりもはるかに「ブランドを失った」という気持ちだった。「高専にはブランドがある」と僕は信じていたし、今でも少なからずそう思ってる。だから、それだけに高専時代の同期やその他の関係者の皆さんにお会いするたびになんだか酷く惨めな気持ちになることがある。「自分が捨てたブランドをきちんと持ってる」のだ、と。私なんかどうしようもない、何も出来ない奴なんじゃないのだろうか?きっとそうに決まってる、もうダメだ。と結構心が折れる(めちゃめちゃ誇張表現がある)。

 私の経歴について知っている方は多くの場合「1年のブランク」の存在を知っているだろう。そのブランクでの話は今までも散々してきたし、また気が向いたら書こう。

ネームブランドを失った私にはあと何があるだろうか?と考えて多少自信を取り戻しつつ、落ち込みつつ、色々ごちゃごちゃしながら日々生きております。負い目も結構良いものかもしれないな。

 そういえば今日は月曜日だった。このネタの元になった「伊集院光 深夜の馬鹿力」は25時からTBS 954で。(こんな真面目なノリじゃなくてラジオの深夜番組特有の荒っぽさと馬鹿っぽさがあって私は大好き)

制作: 株式会社radiko
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では!