伝える言葉は
初めては十三歳の夏。怪我をして保健室に行くと養護教諭の女と数学教師がベッドの上で交わっていた。女の左手には真新しい金の指輪。新婚だというのに早速不倫しているのか。
(大した怪我でもないし、ほっといても治るかな)
段差を踏み外して捻ってしまった足の調子を確かめるように足踏みをしてその場を後にしようとしたのだが、視線を感じて振り返る。やけに甲高い声で啼いていた女がこちらを見ていた。その表情には見覚えがある。色気を学んだらしい上級生が見せるものだ。
(気持ち悪)
どうにも受け入れがたいのは、つい最近たまたま目にしてしまった母親の不倫現場のせいだろう。吐き気を抑えながら、それでも目を離せないのは、そこまでして人の温もりを求めた母の気持ちがわかるかもしれないと思ったから。女の視線がこちらに向いていることにようやく気が付いたのか、男が慌てて突き飛ばすように離れて弁解しようと口を開いた。
「別に誰にも言いませんよ。ただ、時と場所は気を付けたほうがいいと思います」
子供に言わせるなよ、なんて大人ぶった自分が嘲笑う。男が立ち去った後、女が顔にかかった髪をかき上げて手招いてくる。仕方なく保健室に入って用意された椅子に腰掛ける。手当てをしてもらって立ち上がりかけた時、手首を掴まれた。
「あんなに熱い視線向けて……興味あるんでしょ?」
「まあ、興味はありま……っ」
最後まで聞くこともせず、女が口づけてきた。ぬるりと侵入してきた舌に口内を犯されるーー
と、そこまで話したところで向かい合う形で座っていた順也に遮られる。
「悪いが、その先は聞きたくない」
拳を震わせている彼の様子を見てすぐに口を閉ざした。一体、どんな気持ちで話を聞いてくれたのだろう。興味を唆られたが聞けるような雰囲気でもない。深く息を吐いた順也が擦り寄ってくる。いつもしてくれるように抱き締めてくれるのかと思ったが、ふと脳内で響く声にゾッとして肩を押し返した。
「紫蘭……?」
不安げに見つめてくる瞳は濡れていて、今にも涙が溢れそうだ。話の内容が内容なだけにどうしても暗い感情が渦巻くが、できるだけ自然な笑みを浮かべて明るい声を心がける。
「と、まあそんな感じで……だから、俺は、」
汚れているんだ。そう口にしようとするとまるで心を読んだかのように口を塞がれた。
「紫蘭がどんな経験をしてきたとしても」
頬を伝った涙を乱暴に拭い、順也は真っすぐに見つめてきた。見惚れているうちに唇に温もりを感じる。ふ、とイタズラが成功した子供のように嬉しそうな笑みを見せた。かと思えば照れくさそうに頬をかく。
「お前は自慢の恋人だからな」
その言葉だけで胸が温かくなる。彼に出会ってから初めて覚えた大切な言葉を返そう。
「ありがとう」