誰もが
誰もが皆、叶わない出来事に涙した。
あるいは絶望。
あるいは躍起になり。
あるいは忘却。
そうやって今まで生きてきた。
人間が今までの大罪を犯し、それでも生きていけるのは、人間のある特性からだろう。
それが、「忘れること」。
そうやって何かを忘れていくことによって人は生きることができる。
私だって、今では全く覚えてないことがたくさんあるとわかる。
でも、逆に忘れられないことだってある訳で。
ある一瞬で崩壊し、しばらくのイカレた世界に生きた私自身を、私は忘れることができなかった。
思い出したくないけど、季節の香りは時に残酷。
少しずつ、私を過去へと引きずり込む。
でも、最近はこの感覚がなくなってきた。
忘れることは辛くて悲しいこと。
でも人はそれを理解できない。だって忘れれば何も分からないから。
そうやって忘れることを辛い、とか悲しい、と表現できるのは当事者ではなく、第三者の目線でなければならない。
昔、そうやって自分の世界に入り込んで無力な自分を否定していながらも、心の中で過大評価をしていた可哀想な人を見ていたから。
今頃どうしてるのかな、とかさえ思わなくなったけど、でも時間は人を色んな方向へ成長させてくれるから。
折れていなければ、今頃ギリギリのところで踏ん張っているところでしょう。
私はそんな人になりたくなかったな。
いや、もう遅いか。
そうやって私たちは生きていく。
濁った瞳と
綺麗と詐称する心と
傷だらけ、血だらけの体を引きずって生きていかなければならない。
きっと、ね。