何かもが失われていく。
それはねるにとって、良い思い出ばかりだ。玲奈との出会い、玲奈と分かり合えた神社での出来事、スカジャンを継いだクリスマス。
1つ1つがスライドショーのように、脳裏に現れ、真ん中に小さな皹が入り、段々広がり、最後にはパリンと割れる。
墨のように真っ黒い闇があらゆる部分を塗り潰していく。闇は狂気に、狂気は破壊へと変化しながら体の中を流れていく。
ーーああ、心地いいーー
心を壊したあの時から、自分はもう前にも、後ろにも行けない。人の輪から外れ、闇を行く、それが自分だ。
何も求めるな。希望を抱くな。
求めれば、得られなかった時、失った時、自分が辛いだけだ。希望が絶望に変わる事もある。そうなれば苦しむのは自分だ。
最初からそうしなければいい。全てを壊せばいい。今も、そしてこれからも、壊し続けていけば良いんだ。
千切れた鎖の破片が飛び散り、POPと書かれたネックレスは地面に落ちる。そこに立つねるは闇、狂気、破壊に支配されている。
瞳はより黒く濁り、漂う空気も禍々しく、まるで狂気そのもののような今まで感じた事のない闇がある。
ねるの唇がゆっくりと三日月を描き、目を細めて笑うと、理佐と平手はゾッと背筋を震わせる。こんな冷たい笑顔を見た事がない。平手が拳を握ろうとした時、理佐が手を出し、制する。
「これは私の役目だよ」
「……理佐」
「てち、貴女には貴女にしか出来ない事がある。だから、ここは私に任せてくれない?こう見えても私、四天王だからね」
理佐が顔だけを平手の方に向けて言うと、微笑を浮かべて、歩いていく。理佐を止めようと口を動かそうとするが、言葉が出ない。彼女、理佐の覚悟を踏み躙りたくない思いがそうさせた。
「……私にしか、出来ない事……」
呟き、唇を噛んだ。
理佐は歩きながら考えていた。
人にはそれぞれ物語があるんだと。人生とはある種自分が主人公であるから、当然なのだが、当たりの前の事も、こうして触れ合う事で改めてそうなんだと強く思う。
平手には平手の物語がある。ねるにはねるの物語がある。自分には自分だけの物語がある。だからこうして、皆で一緒にいられるのが奇跡で、喧嘩という側から見れば馬鹿な事で真剣になれるのも今だけなのだろう。
何でそんな難しい事を考えているんだろうと笑う理佐。不謹慎だと思うが、楽しいんだろう。こうして皆で馬鹿やっている事が。
もっと馬鹿になりたい。もっと強くなりたい。葵を守る為に、四天王として歴代の猛者達を越える存在になる為に。
ーーこんな所で足踏みしてる場合じゃないんだよーー。
理佐がスカジャンのポケットから両手を出し、左手をねるに向ける。
「来なよ、長濱」
手首を曲げて、そう言った直後、ねるの体が弾け、間合いが詰まる。先程よりもやや速く、拳は鋭く、防いだ腕の上からでも衝撃が体を巡る。
ねるがうっすらと笑ったまま、右拳を脇腹に打ち込もうとしてくる。それを腕を下げて、防ぐと理佐が拳を飛ばす。ねるの頰を打ち抜いたが、ねるは笑みを崩さず、何事もなかったかのように拳を脇腹に打ち、態勢が僅かに崩れた理佐の顔面に拳を叩きつけた。
理佐の顔が後方に弾け、体が退きそうになるが、足に力を入れて踏ん張ると、理佐が顔を正面に戻す。
「……効かないね」
そう言って理佐が笑うと、ねるが拳を振り上げる。理佐も同じように拳を振り上げる。2つの拳が同時に放たれ、交差する。
理佐の拳の方が速くねるの頰を揺らし、理佐が深く踏み込んで、追撃の一撃でねるを殴り飛ばす。
ねるの顔が勢い良く捻れ、視界が歪んだと思えば赤く染まっていき、頰から全身に重い衝撃が走ると、体が退き、姿勢が崩れる。
「“マジ”になりなよ、長濱」
理佐が体を揺らし、距離を詰めると、速い左と、重い右をねるの体に叩き込んでいく。嵐のような怒涛の連続攻撃に、ねるはただ棒立ちになって、受ける事しか出来ない。
「あんたの拳からは何も感じない。そんな拳じゃ、私は倒せないよ」
言下、こめかみを貫く理佐の右拳。ねるの体が地面に転がる。理佐は拳を振り抜いた態勢のまま、息を吐いた。
“マジ”って何?どうして、貴女の拳はそんなに重いの?深層に漂うねるの意識が呟いた。けど、その呟きはすぐに真っ黒に消され、体が自然に起き上がる。
ーー全部、壊れちゃえばいいんだーー
ねるが笑っている。その瞳は依然として狂気に満ちており、理佐が頭を掻く。これでも駄目かと拳を握り、目を光らせる。
ねるが向かってくる。理佐は拳を下ろす。
突然の理佐の行動に、平手達が訝しむ。ねるは容赦なく、拳で理佐を抉る。
1発、2発と拳が頰を殴り抜け、追い打ちの膝蹴りが胸部を打ち砕き、右拳がこめかみを打ち抜く。鮮血が舞い散り、激痛が全身を襲い、口内は血で一杯になり、視界は歪むも理佐は倒れる事なく立っている。
「……ハア……ほら、倒れないでしょ?……どんなに強くても、“マジ”になれない奴が私を倒せると思わないで」
理佐の鋭い一撃がねるの体を突き抜けていく。重い。痛い。けど、それ以上に“何か”がある。それが体の中の闇を揺らしてくる。
コレは何?菅井の時と似ている。玲奈と戦っていた時もこういう事があった。殴られると、何かが流れ込んでくる。それは凄く体に響き、胸が揺さぶられる。
「……壊す」
それでも闇は一層強く体を支配し、拳を放つ。理佐の頰をブチ抜くと、理佐がすぐに、
「……だから、生意気言うなっ!!!」
と殴り返してくる。その一撃がズシンと体の芯に響き、ねるは理佐の背後に多くの人を見る。それはまるで理佐に寄り添うように、支えるように立っており、理佐がそれを背負っているように見えた。
ーーそれが……ーー
「……“マジ”ってのはさ、大切なモノ、誇りとか、信念とか、そう言うのを貫き、守り通すって事だよ」
崩れ落ちたねるに理佐がそう言う。ねるは倒れたまま動かない。それを確認し、平手達の方に体を向ける。そして、足を進めようとした時、
「理佐っ!!!」
平手が叫ぶ。理佐は背後でねるが立ち上がる気配を感じ、苦笑を浮かべて振り返ると、ヒュンと風切り音と共に拳が顎を薙いで、一瞬で意識が消え掛ける。
理佐が振り返り、平手を見て、後は頼んだよと目で語り、そのまま崩れ落ちた。
「理佐っ!!!」
平手が駆け寄る。理佐は意識を失っている。平手の顔が曇り、心臓が嫌に大きく脈動を刻む。平手がねるを見上げる。
「ね……」
「初恋は実らないって言うけど、本当だね。ごめんねてち。君には沢山迷惑かけたね?安心して、もう君達の前に姿は見せない。
さよなら、てち。私の愛した人」
平手の言葉を遮り、何とも言えない表情でそう言ったねるは最後に笑うと、平手の横を歩いていく。
『ばいばい、てち』
「ねるっ!!!」
平手が振り返り、叫ぶ。ねるの体は止まらない。その後ろ姿が消えた“彼女”と重なる。平手が向かおうとする。でも、体は動かない。
ーーどうして……どうして……ーー
またなのか、自分はまた、この手で助ける事が出来ないのか。
ーー嫌だ、行かないで……ーー
「ねるっ!!!」
力の限り平手は叫んだ。それでもねるは足を止める事なく園内から出ていく。公園を出ていくねるの顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。
「ああああああああっ!!!」
平手が叫ぶ。
あれだけ雲が多かった空は晴れており、少女達の気持ちを無視して、輝く星々がその存在を示していたーー。
続く。
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