戦後復興の真っ只中・・・・・
産声を上げた私
母の背中に背負われ
仕事場では
竹籠に入れられて遊んでおりました
やたらと人の多かった仕事場では
茶碗を一つ作ってはいくらという
賃引き職人が3名ほどいて
朝から夕方まで茶わんを作っておりました
次の仕事場が見つかるまで働き
入れ替わり立ち代わり
働くこの人たちを
俗に窯グレと申しておりました
定住しない遊牧民のような人たち
酒をかっ食らい・・・・
喧嘩をし・・・・・
旅から旅への渡世人みたいな人たちだったな~ぁ
幼い私は・・・・・
よく遊んでもらったのを覚えております
一番良い頃の美濃の風景でした
さあ・・・・・
風情の無くなった美濃ですが・・・・
作陶の意欲は衰えず
綿々と伝統は続いております(笑)
午後の一曲
不幸を背負った代名詞みたいな言われ方をしている彼女
でも
こんな可愛い声で唄っているビリーを聴いて
幸せな今日のモザンであります(笑)
今日のモザン作
老いなんかには負けないぞ~・・・っと(笑)
明日も元気にブログ書き