かすみがうらマラソン2024の記録(その③) | 50代から始めた挑戦の記録

50代から始めた挑戦の記録

50代半ばの夏、その時は…
自分がその後、登山・マラソン・ゴルフ・資格取得などに挑戦する日々が訪れるなど思ってもいませんでした。年を取ってからの挑戦は上手くいかない事ばかりですが、やりがいもあります。そんな自分が「生きた証」をここに綴っていきます。

前回までに続き、かすみがうらマラソン2024の記憶を記録します。




ハーフを過ぎ、最後の下り坂をこなし、その後は永遠に続くかの如く、細い道と民家と蓮田が続きます。


いくら走っても変わらない風景

「かすみがうら」というよりは「レンコン畑」が目の中に入ってきます。


でも、この事は、事前の視察でわかっていたこと。気持ちの切り替えに徹しようと、淡々と進みます。でも…



太陽が。

身体を照らす。



予報と裏腹に太陽が時折出てきて身体を照らします。暑さが身体を痛めつけてきます。

曇りじゃなかったのかよ

虚しい恨み節が口をついて出てきます。

でも、みんな同じ条件です。


ちゃんと走れているランナーも多い。

自分が弱いだけです。




そして、25km手前で、ふくらはぎが存在を主張し始めます。


ふくらはぎは、


これ以上走ったら、

容赦しないぞっ


と私に語りかけていました。

脅迫…のような感じです。


容赦しないぞっ

何度も何度も、ふくらはぎは私に主張してきます。

この時私は、生まれて始めて、

怖い

と感じました。


周囲を見ると、これまでこのペースで走った時には見たこともない位、歩いている人、攣りまくってストレッチしてる人を目にしました。


まるで、初レースの水戸黄門漫遊マラソンで歩きまくって6時間ギリギリでゴールした時に見た風景と似ています。


救急車のサイレン。担架に乗せられた人も現れ始めました。水戸以上に過酷。



容赦しないぞっ


ふくらはぎの強い主張。初めての経験です。

どうして良いかわからない。



ペースを落とします。もう、それしか出来ません。

騙し騙し進みます。
プランAのPBとプランBのサブ3.5は諦めました。

プランCのサブリノは、これまでの貯金が大きいのでなんとかなるはず…



ところが、40km直前、両足が痙ります。
ふくらはぎが今まで見たこともない形に変形し、ビクビク痙攣して、自分の意思とは関係のない方向に逸れていきます。

バランスを崩し、ゆっくり転倒。
怪我はありませんが、動けません。

あと2kmちょっとなのに!
余りの激痛と初めての事態に、DNFが頭をよぎります。

なんてことだ…
泣きそうでした。


近くで応援していた方が私に駆け寄り、
「大丈夫ですか!」と声をかけてくれます。

私は、








「大丈夫かどうかわかりません!」

と、意味不明な回答。

戸惑う応援者を尻目に、ほぼ無意識にふくらはぎをマッサージ、ストレッチ…

そして、
恐る恐る立ち上がってみる……


立てたっ!

「ありがとうございます。大丈夫みたいです」
応援者の方に御礼を伝え、ゆっくり走り始めます。

少し進むと、また激痛が襲ってきます。
そのたび、「いてっ!」と声が出て立ち止まります。

マッサージ、ストレッチ…
また、動き始める。

長い長い残り2km…
それでも、意地でゴールを目指します。

なんとか、持ってくれっ!
祈るような気持ちで、止まる、走る、止まる、走る………

↑激闘の様子です。
意地で走っていますが、痙攣と激痛で何度も止まっています。


それでも、やっと………
ゴールが、見えてきた。


ゴール

グロス 3時間48分51秒(6大会連続サブ4)
プランDは達成出来ました。

ゴール直後、両足が痙攣してフラつきます。
係員が駆け寄ってきて、ポカリを私に渡しながら、
「大丈夫ですか!担架で運びますか!」
と声をかけてくれました。

「大丈夫です。ありがとう」

この言葉と共に、
私のかすみがうらマラソン2024が、終わりました。



両足痙攣で転倒、完全停止。

意地で泣きながらゴール。

2023-2024シーズンのレースは、これで全て終了。


実力不足が顕在化し、ほろ苦い結果でしたが、

大きな収穫がありました。

それは、


経験値が上がった


ことです。




走り始めたのは50代半ばからと遅いけど、まだまだ挑戦出来る事を教えてくれたマラソンに感謝


本当に、ありがとう。