初めてのフルマラソン | 50代から始めた挑戦の記録

50代から始めた挑戦の記録

50代半ばの夏、その時は…
自分がその後、登山・マラソン・ゴルフ・資格取得などに挑戦する日々が訪れるなど思ってもいませんでした。年を取ってからの挑戦は上手くいかない事ばかりですが、やりがいもあります。そんな自分が「生きた証」をここに綴っていきます。

昨日の続きを書きたいと思います。

 

何となくエントリーした2022年10月の水戸黄門漫遊マラソン。

正直、距離的に未知の領域だったので「不安」も大きかったですが、内心「何とかなるのではないか」という漠然とした(根拠のない)自信もありました。

 

結局、最後まで走り切り、「辛かったけどやり切ったよ」なんてセリフを吐いて、多少足を引きずりながら苦笑いしているのではないか。と。

 

 

 

スタート地点に立つと、言い知れない緊張感に襲われましたが、号砲が鳴りしばらくしてゆっくり動き出した時には、緊張感は消えていました。

妻は応援にまわり、ゴール手前の仙波湖付近で待つとのことでしたので、数時間後に妻に手を振りながら笑ってゴールを目指すつもりで走り出しました。

 

10㎞まではいたって好調でしたが、エネルギー補給のために口にしたジェルをゴミ箱に捨てられず、そのまま手に持って走り続けなければなりませんでした。

そうこうしているうちに段々手のひらがベタつき、ストレスがたまるな…と心の中で思った矢先、左足(お尻のあたり)に違和感を覚えるようになり、庇いながら走る状況となりました。

 

18㎞付近では、装着していたイヤホンの位置ズレを直そうと耳に手をやった瞬間、ジェルのベタつきと共にイヤホンが外れ、地面に落ちました。

 

立ち止まり、戻ってイヤホンを拾い、耳にねじ込もうとしましたがベタつきが酷く、上手く装着できませんでした。

仕方なくイヤホンはポケットにしまい、再び走り出しましたが、左足の違和感は左ひざ痛やふくらはぎのツッパリに悪化していました。

 

20㎞からハーフ地点までは、橋の上り下りを繰り返すことになるのですが、私の足は既にもう残っていませんでした。・・・それでも何とか26㎞付近まではダラダラと(泣きそうな顔で)走り続けました。

 

完全に止まってしまったのはその直後です。両足が攣り、もはやゆっくり歩くしかなくなっていました。

 

その位置からおもむろに、妻にラインしました。

「もう走れない。歩く。ごめん」

 

この後、私がもしゴールテープを切る場合は、まだ15㎞以上「歩かなければならない」という絶望的な状況の中、私はゆっくり足を引きずって歩き続けました。

 

スマホのGPS機能を妻と共有していたこともあり、ほどなく妻が(歩く)私の近くまでやってきました。

 

 

何と情けない姿を見せているのだろう。

足が痛いだけでは無く心も痛い。

 

 

初めての体験でした。

 

時計を見ると、頑張って(早く)歩けば、制限時間の6時間までにはゴールできるかも知れない。

仙波湖付近でそう思った私は、最後の力を振り絞って「歩きました」。

 

 

ゴール

 

 

初マラソンは、ネット5時間46分10秒

 

ゴール後に完走メダルやエイドを貰い、休憩できる芝生の広場に戻ってきたときには、もう限界でした。

芝生に倒れ込み、

 

もう二度と、フルマラソンは走らない。

 

そう心に誓って、打ちひしがれるように空を見上げました。

 

今から1年2か月前の出来事です。

これが、私の初めてのフルマラソンでした。