AGS、86年から91年までF1に参戦していたフランスのチームでした。
ラルースと同期になります。
前回記事にしたコローニより1年先輩のチームで、成績はコローニよりはマシでしたね。
ポイントゲットは87年と89年の6位入賞3回。
当時の参加台数の多さ、今と違って6位までの入賞制度を考えると弱小チームでは立派な成績だと思います。
そのポイントゲットはモレノとタルキーニの2人がマークしています。
やはり実力派と言われた2人だけの事はありますね~。
90年途中から登場したJH25。
このシーズン、メインスポンサーだったファッションブランド・テッドラピドスの意向なのかマシンはブラックにイエローロゴの精悍なカラーリングでした。
90年のドライバーはタルキーニにフランス人のダルマス。
コローニやユーロブルンといった同クラスのチームよりはしっかりしていた印象があります。
このJH25もデザインは悪くないと思います。
89年から91年途中までドライブしたタルキーニ。
89年には6位入賞1回をマークし自身最初で最後のポイントゲットを果たしています。
速さを持った実力派ドライバーでしたがチームに恵まれなかったですね。
コローニ、AGS、フォンドメタルと見事に弱小チームを渡り歩きました・・・・・。
91年のシーズンの大半はJH25の改良型JH25Bを使用。
エンジンはDFRのまま。
テッド・ラピドスのスポンサーを失いカラーリングはホワイトに変更。
インダクションポッドはブラバムのようなT字型に変更されています。
ホワイトにネイビーの襷デザインに変更されましたが、当時のF1マシンの中では比較的地味な色合いでしたかね~。
タルキーニの当初の相棒はヨハンソン。
90年はオニクスでシーズン序盤で解雇されてしまいどうしてもF1に復帰したかったからなのか理由は不明ですが、AGSと契約。
正直フェラーリやマクラーレンでフル出場したドライバーがAGSと契約するとは・・・・。
都落ち感がハンパ無かったと思います。
おまけに出走した2戦はどちらも予選落ちで解雇と散々な結果。
プロスポーツはどこの世界も一緒だと思いますが一度歯車が狂うと一気に転落してしまいますね・・・・。
90年も苦しかったDFRでは91年は更に苦しくなってしまいました。
91年にDFRを搭載していたのはAGSの他にはラルース、フットワーク、フォンドメタル、コローニがいましたが、ポイントゲットしたのはラルースのみ、他のチームは軒並み下位に低迷していました。
ヨハンソン、バルバッツァと相棒2人が予選落ちを繰り返す中シーズン序盤はしっかり予選を通過していたタルキーニはサスガでした。
ただシーズンが進むにつれそのタルキーニでさえ予選通過が難しくなりシーズン後半からは予備予選組に回ってしまいました。
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シーズン途中から新スポンサーを獲得した影響なのかカラーリングが変更。
レインボー的な独特な色合いになりました。
ただ予選通過は出来ずじまい・・・・。
91年途中から加わったバルバッツア。
このシーズンは一度も予選通過できず、本当のF1デビューは93年でした。
そして、ようやく第12戦のイタリアGPでニューマシンJH27が登場
オーソドックスなデザインで見た目は悪くなかったですが、資金不足でマシン開発もままならず予備予選落ちの連続。
そして第14戦のスペインGP限りでチームは消滅・・・・。
僅か3戦のみでチームが消滅してしまった悲劇のマシンでした。
AGS最後のレースになったスペインGPでは突然のドライバー交代劇が。
タルキーニがフォンドメタルに移り、フォンドメタルのグルイヤールがAGSにやってきました。
トレード的な異動でした。
AGSからフォンドメタルへ移り、予選通過は当たり前になったタルキーニでしたが、92年途中でチームが活動停止と最後までチームに恵まれなかったドライバーでした。
95年に片山右京の代走としてティレルに乗りましたが、F1に戻る事は出来ませんでした。
F1撤退後93年からはツーリングカーで活躍し今も現役です。