前回オニクスでしたが今回はブラバムです。
70年代から80年代前半に掛けて強豪チームとして君臨していましたが、80年代中頃からは一気に弱体化。
エリオ・デ・アンジェリスのテスト中の事故死もありました。
88年の活動休止を挟んで89年に活動を再開しましたが、92年限りで撤退しました。
日本人がオーナーだったからなのか、91年にはヤマハエンジンを搭載し日本にも縁のあったチームです。
今日取り上げるのは92年のマシンBT60B
シゲオのモロ好みのカラーリングです。
伝統があるブラバムがマシンにこんなカラーリングをしてしまった事がもう末期だったのかもしれませんが、シゲオはこのマシン好きだったな~
あまりの奇抜さにパドックでは浮いていた存在だと思いますが、たまらないカラーリングです
スボルメのウェアっぽい色合いですね~。
92年の何戦かはブラバム伝統の白紺でした。
ドライブするのは久々の女性ドライバーとして話題だったJ・アマティ。
日本の中谷明彦のスーパーライセンス却下からのアマティ参戦でしたが、F3000での優勝経験のないアマティにライセンス許可して日本のF3000でチャンピオン争いをした実力者の中谷が却下の基準が未だに謎です。
当時はまだ非ヨーロッパ人への差別もあったんですかね~
このカラーリングは遅くても速くてもカッコいいです。
92年のマシンは資金難から91年のマシンを改良しての参戦でした。
1年落ちのマシンにジャッドv10では全く勝負にならなかったですね
92年のマシンではアンドレアモーダに次ぐ最弱のマシンだったでしょう・・・・・。
こちらが91年のBT60Y。
ヤマハエンジン搭載に伴い数々の日本企業のスポンサーが付いていました。
楕円形のインダクションポッドにノーズ形状が独特でした。
シゲオの偏見ですがセルジオ・リンランド設計のF1マシンは常に大柄なイメージです。
インダクションポッドはオーソドックスな形へ変更されました。
エリック・バン・デ・ポール、速さはあったのですがチームに恵まれなかったですね・・・・・
独特なカラーリングのヘルメットは好きでした。
日本のロックバンド聖飢魔Ⅱがブラバム救済と銘打ってスポンサーに付きこのような奇抜なカラーリングに変更されてしまいました。
このカラーリングはデーモン閣下の意向なんですかね
聖飢魔Ⅱのロゴが・・・・・。
後のワールドチャンピオン、デーモン・ヒルのF1デビューはこのマシンでした。
90年代はブラバム、ロータス、ティレルとそれまでのF1を支え続けた名門が活動を停止した悲しい年代でもありました。