母のこと1 | 子供を育ててはいけなかったかもしれない夫婦の話

子供を育ててはいけなかったかもしれない夫婦の話

ほとんど過去の話です。
自分の中で消化できないので文章にしてみます。
いろいろな話がありますが、ご不快に思われましたらそっと閉じてください。

母は幼少期を戦後に過ごした

すごく田舎だが、やはり戦時中の影響はあったようで食べるものに困ったそうだ


そのためか食事はお腹をいっぱいにするためのもの

甘いものが贅沢だったせいで甘いものを特に喜んだ


六人兄弟の長女だったためいつも兄弟の事を考えざるをえなかったようだ

母の父親(私にとっては祖父)は酒呑みでよく酔っぱらっていた

気性も荒かったらしく、母が子供の頃 食事中に両親の喧嘩が始まるとちゃぶ台をひっくり返してしまうため お茶碗を持って兄弟をかばって逃げ回ったと笑っていた

それでも母は祖父が好きだったようで、身一つから家族を養ってくれたと感謝していた


祖父との記憶は一つだけ

近所で飲んだ祖父が酔いざましに立ち寄ったらしい

母は布団をかけてあげたが私が泣き出したため怒って帰ったというもの

私にとっては怖いだけの人だった


結局祖父は脳卒中のため10年くらい寝たきりになった

寝たきりの祖父の面倒は祖母がみた

外孫のためかほとんど話した記憶もない祖母だが、忍耐強く介護をした

祖母は100才を越えて数年後に亡くなった


食べるものに頓着しなかった母だが色々なものを栽培していた

野菜はもちろん、苺、スイカ🍉、無花果、昔はどの家にも一本あった柿の木、果てはみかん、キウイなど

労働を厭わない働き者だった


子供の頃スイカがたくさんとれた

子供なのでお腹いっぱい食べてご飯が食べられなかった

母は好きなものを食べれるだけ食べたらいいと言った

母がしたかった事だったのだろう


だが私は虚弱体質だった

胃腸もとても弱かった

母には理解ができなかったようだ