『月雲の皇子』という呪縛・前月組トップスターに思う率直なこと | 宝塚に出戻った男のブログ

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出戻りのため気持ちは初心者。そんな30代入りたての男がなんとなく宝塚のことを綴ります。


どこにこの感情をぶつければ良いのか分からず、
「あぁそうだ、前身ブログがあったわ」と気付きまして、
やっと昇華出来た、今の自分の素直な感情を書こうと思います。



だってホラ、ブログってそういうものですからね?
この記事は私の気持ちを昇華させる超個人的なものである、
と熱狂的なファンの皆さんに向けて前置きしておきます。笑
 

 

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前月組トップスター退団公演千秋楽の一件は、
もしかしたら私たちが思っている以上の
炎上案件だったのかもしれません。

私はそもそも公演を見ていないので、
そこまでSNSを追いかけていなかったのですが、
私の関連記事2つに寄せられたコメントは合計200件を超えました。
もちろん歴代最多です。

そして他人様の様々なブログでも
アクセスやコメントが多数寄せられた模様。

ファンの個人的なブログ、しかもコロナ禍においてコレなのですから、
実際は、私の想像を遥かに超えた数の、
多くの人たちの感情を揺さぶった大事件だったのだと思われます。

その一方で。私は現行のブログで、スランプに陥ったと書きました。
それは前月組トップスターに送る言葉を書きたかったのに、
言葉を紡ぐことを、体が拒否してしまったからです。

その理由を考えあぐねていたのですが、
私は昨日、ようやっとそれに気付きました。

あぁ、私は去りゆく彼女に褒めちぎる激励の言葉を送りたかったのに、
その結末に辿り着かない道に突き進む様子を見て、
裏切られたような気持ちになったんだな、と。


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前トップスターが、本人すらも望んでいない早期就任により、
辛く大変な道を歩むことになったのは、誰もが知る通りです。

私は一個人として、彼女が批判の矢面に立たされ、
それでも必死に邁進していく姿に心打たれたし、
いつかその批判をひっくり返し「色々あったけど良かったね」
言われるような物語の終末に辿り着くと信じていました。

普通、トップスターが退団発表すれば、そういう風潮に傾くもの。
なのに…そうならなそうな予感がし始めたのは、いつの頃からでしょう。

仲の良い元同組の上級生を呼び寄せた頃?
いや『I AM FROM AUSTRIA』の出来は素晴らしいものでした。

『ピガール狂騒曲』でトップ娘役を蔑ろにしたオチを見せた頃?
いや、あの結末は斬新でしたし、
男役に囲まれる前トップスターの姿は可愛らしく、
新たな魅力を多くの人に披露した作品として良かったと思います。

『幽霊刑事』でこれまたトップ娘役を蔑ろにして、
『月雲の皇子』再びをやろうとした頃?
バウホールで振り替え公演になった個人DSでも似たようなことをした頃?

…たぶんこの頃から嫌な予感がしていた気がします。
あぁ、この人は自分だけの楽しい世界に引きこもろうとしているな、と。

それはもしかしたら『月雲の皇子』の呪縛のようなものだったのかもしれません。
最初にして最大のヒット作となった、栄華の瞬間に引きこもること。


本人にとってはそれが一番楽で楽しいのかもしれませんが、
それはエンタメ事業としては最大の悪手としか言いようのない道でした。


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私がエンターテイメントで最も苦手とするもの、
それは内輪のノリです。

例えばバラエティ番組で知らない芸人が○○軍団だのと称して騒いでみたり、
友人の結婚式の2次会で新郎新婦の仲間内だけが分かるネタを見せられたり。

これらがまだ許されるのは、タダだから。
だけどチケットを安くない価格で売り、
多くの人の共感を呼ばなければならないエンターテイメント興行では、
「身内が楽しければそれで良い」は許されないと思います。

まして、小川前理事長の元、
「開かれた宝塚」という新たな価値観でファン層を広げていった宝塚。

自分たちの仲の良い同僚、
そして信望する信者の人たちだけが楽しい世界に走るのは、
単純に良くない方向性です。

だけど、その道に全力で舵を切ってしまった。

『幽霊刑事』あるいは『Eternità』のどちらかだけなら、
「あぁ、過去を振り返ったんだな」と許されたと思います。

だけど現実は…さらにメモリアルブックでも『月雲の皇子』ごっこをし、
『Dream Chaser』でもダンスの場面で一絡み。

その一方で、公演パンフにトップ娘役が一緒に載らない、雑誌の対談すらたまちな再び、
あげく『Dream Chaser』では相手役をエトワールに押し込め、
自分は仲の良い男役たちと思い出の走馬灯、さらに最後の挨拶でも「塩対応」。

これでどう、一般受けしろと言うのでしょう?

物議をかもす案件となった千秋楽公演の一連の様子は、

そんな自分と仲良しと信者だけが楽しい世界の果てだと、私は感じたのでした。

だけど、私が問題に感じたのはそこではありません。
あなたは、そんな信者にだけ愛されれば良いスターになりたかったの?

辿り着いたゴールは、そこで良かったの?と。

確かに超スーパー人気なスター様にはなれなかったかもしれないけど、
男役らしい体躯に恵まれ、包容力があり、だけど実は中身が乙女で、
それでもやはり舞台に立つと理想の男性像になれる、
そんな素晴らしいトップスターになれたはずでしょう?
なのになぜ、自分だけが楽しい世界に浸りにいってしまったの?

その予感が『Dream Chaser』を見た時点でビンビンに感じていたからこそ、
このままではクラッシュする未来が見える、
それが分かっていながら回避出来ない進路に舵を切る姿を見て、
私は言葉を紡ぐことが出来なくなったんだと、やっと気付いたのです。


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「私が勝手に彼女の美しい物語の結末を期待していただけで、
自分の想像と違うゴールにたどり着いたからと言って怒るのはお門違いである。」

もちろん、重々分かっています。

分かっているけれど…彼女が自分で作り上げたスター像を
理解してあげることは出来ませんでしたし、
劇団がそれを加速させるかのような演出に走る姿勢にも納得出来ませんでした。

そして何よりも…彼女のファンの皆さんが必死に自己弁論するところ、
そしてそれを他人に強要する姿勢が苦手過ぎて、
そっちに嫌悪感を抱いてしまった、というのが本音です。

本人たちの事情は本人たちしか知らないのだから、勝手に空想して批判するのはお門違いである。
別にベタベタするだけがトップスター像じゃないのだから、コンビ芸を強要するのはおかしい。
トップスターが嫌いなら、わざわざ見に行かなければ良いし記事に書かなきゃ良い

あれこそまさしくリアル男子、あるいは舞台作品の2人がそのまま生き写しになったよう。

そう感じるファンも居るのだから、それを否定するような記事を書くべきではない。

まして有名ブロガーであるならば、自身の影響力を自覚して行動するべきだ。

…違う、違うんだよ。
そういうことを言いたいんじゃない。

私は嫌いだから批判するんじゃない。
もっと多くの人から愛され、退団に際し惜しまれ、
数々の素晴らしい作品が人々の記憶と記録に残るような、
そんなトップスターになれると、信じていたんだよ。

トップ就任時も、トップ在任時も、人事でアレコレ言われ、

多くの批判を一身に受けながらも必死にトップスターとして生き抜いた先には、

誰もが納得しうる境地に辿り着けるはずと、そう願っていたんだよ。

彼女が歩んだ辛く苦しいトップスターの道の果てを、
精一杯のハナムケの言葉と感情で送り出したかった。
それが出来なくて苦しむファンだって居ると、なぜ理解してくれないのだろう。

タカラジェンヌは、退団したらそこで終わりである。
同じ芸名でも、明日からは別の人格になる。
だからこそ、彼女が在団している時に、彼女を賞賛する記事をどうしても書きたかった。

それが出来ずに焦ってしまった、その悪循環でスランプに陥ったと、
200件を超えるコメントを読み、読者の皆さんの気持ちに触れ、
徐々に自分の感情を昇華していった先に、ようやく気付くことが出来ました。

私の浄化に付き合って下さって、ありがとうございました。
コメントを寄せて下さった方の中には、月組やスターのファンだからこそ、
この結末に納得が出来ないと、私以上に辛い感情を抱いていらっしゃる方も多い様子です。

そんな方々が、一日も早く気持ちが昇華出来ることを祈っていますし、
その一助として私のブログやコメント欄があると思いますので、
活用(という表現であっているのか?)して下さると幸いです。


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そして最後に。(入れ込む段落が無かったので、笑)
やっぱり上田久美子が天才だなと思うのは、
そんな『月雲の皇子』の呪縛に気付いていた(予感していた)んじゃないかと思うところです。

『桜嵐記』を見て、私が一番に感じたのは
なにがなんても『月雲の皇子』の二番煎じと言われない作品を作ろう、という熱意でした。

美園さくらをちゃんとヒロインとして愛される存在に描き、
月城かなとへ次期トップとして送り出す言葉を話させ、
鳳月杏をその腕の中で殺し、
暁千星からの惜別の言葉に見送られ、宝塚を去っていく。

確かに、栄華は人々の心の中だけにあるものだけど、
進むべき道は過去ではなく未来である。
時代の流れの中で身を捧げるという過酷な生き様の先に、歩める未来があるのだと、
作品を通してトップスターに伝えてたんじゃないかと思うのです。

『月雲の皇子』の呪縛を解けるのは、
『月雲の皇子』の作者である彼女しかいない。
それをきっと、上田久美子自身が一番分かってたんじゃないかな。

人々から『月雲の皇子』再びと期待されながら、全く違う物語を描くこと。
最後1年はトップスター本人のやりたいようにやらせた劇団の方針の中で、
あえて逆方向に走った上田久美子は、やっぱり凄い。

 

私は8年でここまで進化したよ?じゃあ貴女は?

…そんな上田久美子氏の挑戦状は届きませんでした。

なぜなら、主演者が「楽しかった、あの頃」に囚われてしまっていたから。

 

『桜嵐記』は確かに素晴らしい作品です。

トップ退団に相応しい内容、展開が面白いだけでなく、

組体制をきちんと反映したうえで、多くの出演者に出番を振った。

 

そう、宝塚オリジナル作品としては傑作の部類に入りながら、

残念ながら出演者の魂を乗せることは、

前トップ最後の栄華の瞬間を、その時代の風を閉じ込めることは、出来なかった。

それが、なんとも憎らしい。


残念ながら在任中に『月雲の皇子』の呪縛が解かれることはありませんでしたが、

退団した2人の未来が明るいことを、今はただ祈るばかりです。

 

 

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【追記:8月23日】

現行ブログの非承認コメントで面白いご指摘を頂いたので追記でご紹介します。

実はこの前身ブログで美園さくらがトップ娘役に就任した頃、
2018年10月29日に「美園さくらと新生月組に送るエール」と題する記事を書いたのですが、
そこに我ながら興味深い文章が。

 

 


抜粋します。


なぜ、海乃ではなく美園が選ばれた最終的な理由は私も分かりません。
が、せっかく選ばれたのなら
本人の実力をいかんなく発揮し、悔いのない舞台人生を送って欲しいと思います。
 
そのためには、何よりも珠城りょうの器量というものが問われると思います。
相手を可憐な娘役に魅せ、自信を取り戻させるのもまた、トップスターの役目だからです。

これまで愛希におんぶにだっこだった珠城も、
ここが月組のトップスターとしての漢の腕の見せ所というものでしょう。



あぁ、そうだった。
なんとなく、この頃から嫌な予感してたんだったわ。笑

トップスターとして愛されるためには、
相手役を大切にする器量を「見せつける」ことが大切よ、
と既にうっすら釘指してたんですね、私。

だからこそ、全くそういう方向に舵を切らず、
クラッシュする(と私が勝手に予見してた)方向にズンズン進んでいく彼女が、
ずっと、ずーーっと心配だったんだなと、今更ながら思い出したのでした。

最後の「お手並み拝見」の視線をはね返すほどの若いパワーを
これから楽しみにしたいと思います。
という文章が、我ながら虚しい…。

 

 

さらに蛇足。美園さくらと花乃まりあのシンクロニシティについて。

(本当は『Dream Chaser』感想編に書こうと思っていたものです。)

 

この後、4作で退団、退団公演が上田久美子作品、かつエトワールと、

物語の結末まで全く同じだったこの2人。

 

当時「塩対応」と言われていた明日海りおと花乃まりあは、

退団後にテレビ番組等で共演するなど素敵な後日談がありましたが、

美園さくらにも訪れると…いいです、ね?(想像出来ない)

 

つっても『金色の砂漠』大千秋楽の明日海りおの花乃まりあへの挨拶は、

私が珍しく何度も見返す程、素敵な、そして愛のあるものでしたけれども、ね。


どこに書く宛も無いので、ここで昇華します。

(現行ブログにさらに多数コメント頂いてます。少しずつ拝読してますので、少々お待ち下さい。)

 

 

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現行ブログ「ルネサンス・宝塚ブログ」もどうぞよろしくお願い致します。

(今ならコメント欄で私が浄化されていく様子が見られます。笑)