ロッテオリオンズが実質上、本拠地球場として
使用していた県営宮城球場(現:楽天生命パーク宮城)
そのロッテオリオンズが準本拠/本拠として使っていた(昭和48~52年)と楽天前夜の痕跡を探す。(過去に何度かブログしたのを再紹介)
楽天参入以降、年度毎のペースで改修(席増設)が行われ変化。
昭和48年からナイター照明塔が唯一、ハッキリわかる遺構として残る。
3塁側:塔の後方まで席が延びてる。
バックネット裏の赤塗りつぶしの基礎部分も遺構。
砂被り席後方のピンク塗りつぶし部は昔の球場で本部席だったところ。
ロッテ時代から最前列の席は椅子席で、そのロッテが去った後に
写真の赤塗りから上の階段席を椅子席に改修するため解体した。
多分、下段の基礎は開場時からと想像するが⁈
昭和25年開場時から解体前(昭和59年)までの姿。
だから実際、ロッテ招致時、とうに年数の経った球場なのが判明。
ロッテが使っていた後半期に観戦した時の記憶ですが
ネット裏中~上はコンクリートの階段席で
写真を見てもらうと階段の形状が見てとれる。
もうこの頃、構造物に劣化が・・・所々、小さな穴が開いていて
下が覗けるし、日曜の試合はダブルヘッダー(2試合)が通例だった時代。正直、ガキんちょだったから飽きるんですね2試合は///
(ネット裏上段は自由席で招待券で観ていた。)
だから暇つぶしに穴から「爆撃!(写真:黄色点)」って
お菓子の欠片を落としたり、水流したりで…
(時効ですがすみませんでした。)
南国の球場ぽいですね!
昭和50年代半ばの球場一塁側
見比べてもらえば一塁側も塔のギリまで観客席が延びてるのが
一目瞭然。
当時、
外野は芝席(楽天参入前は雑草席だったけど)
内野席:ダックアウト上部は簡易背もたれ付きのベンチ席(指定)
他はコンクリートの階段席(自由席)
あと
昭和~平成~令和と時代が変わっても
この風景だけは外野後方のJRマンション、国鉄アパート(当時)
昔はアパートの通路から観戦していた光景もあったね!
ロッテオリオンズは仙台に根城しておらず、ホームゲーム主催でありながらビジターチームと一緒になって遠征して来た。
だからこちらに専用の練習場も寮も無かった。
当時、県営宮城球場はプロ・アマ(社会人、大学、高校)と過密スケジュールで日程が組まれていたと推測されるので
ロッテ球団がだけが専有使用でないでしょう。
想い出した逸話だが
遠征時にロッテの練習場としてここを使ったらしい。
仙台育英野球部の松島練習場
現在はこの施設、無いと思うが?
甲子園球場を模した練習場だったようで、ロッテの金田監督(当時)が
「プロでもこんな練習場、無い」と言ったとか?
金やんも自球団の施設以上と言ったのが本音でしょうね!