さて翌日、厳選()したもう1軒の気になるお店に足を運んだ。

蕎麦を食いに、またわざわざ、郡上八幡に寄ったのか!と、突っ込まれたら

わざわざ立ち寄ったんですが、なにか?と、返さざるを得ない()

こちらは泉屋、ネット情報も乏しく、どうやら地元の支持が篤そうだ。

あるジモティは、蕎麦屋なのに蕎麦を食べたことがなく、

中華そばしか注文したことがないという、不思議な支持をしているらしい。

あくまで蕎麦探訪だ(の積もり)。肝心の蕎麦は美味いのか?!

道に面して、蕎麦を打つ場所が拵えてあるが、

開けっ放しの引き戸の玄関に立てば、民家の土間にテーブルが置いてある風。

建具を取っ払った座敷は、ずいっと向こうの庭の緑が目に美しい。

泉屋 お座敷.jpg

声を掛けてもらって、古民家にお邪魔した、そんな気分。

丼物からうどんと品書きが、何でも屋食堂のように揃っているが、

ご亭主が、蕎麦を打っている最中だ。

お約束で、まずはざる。そして件の中華そばをシェアすることにした。

打ち終えたご亭主が、木のおか持ちで、出前に行くみたいだ。

沢山の湯気を吸ってきた、古びたおか持ちに入れられたのは、

中華そば1鉢。この辺りでは、一品でも出前してくれるんだなあ。

んで、やっぱり中華そばなんだぁ。

程なくテーブルに来たざる蕎麦は、太めでいかにも手打ち。

ちょっぴり平たく、形状はパスタのリングィーネだ。

お蕎麦 べろんとはみ出ている部分、形状がお解り頂けますか?.jpg

うん、狸が化けた娘さんって感じ。色が黒くて、正しく田舎蕎麦だが

コシはしっかりシコシコしていている。

出汁も、きりりと引き締まり、ちょっと醤油辛いが、この蕎麦に見合っている。

・・・・・・・・??やっぱり、短い。やっぱり10㎝位にぶつんと切れている。

この辺りでは、みな、こんな短い蕎麦なんだろうか。

しっかりじっくり噛み締める。

多分、切り幅太めが標準で、咀嚼しやすいよう、短いんだろう。

喉ごしなんてセッカチじゃ味わえない、蕎麦の甘みが口に残る。

さて、サイドメニュー?の中華そばは、想像通りあっさりスープだ。

支那そば、って言葉を思い出す。

泉中華そば、食品サンプルみたい.JPG

ん?焼き豚じゃなくって、これにもやっぱり鶏肉が入っている。

機械打ちのなんてことない細麺だが、この優しいスープに馴染んで旨い。

お蕎麦は700(?自信なし)、中華そばならワンコインプラス50(確実!)

蕎麦をぞ、ぞ...、ぞ…..、と啜っていると(短いからずずず、にならない)

じいちゃんのお友達がやってきて、「ころそば」でビールを飲み出した。

お嬢ちゃんのお友達も、学校帰りに遊びに来た。

出前から戻ってきたご亭主が調理場から、宿題、するんか?と声を掛けている。

いつの間にやら、皆、土間(テーブル席)に出て来て、にぎやかだ。

開け放った引き戸から庭へと、水路で冷やされたのだろうか、

ひんやりした風が、通り抜けた。

手打ち蕎麦だって極上の、泉屋とはそんな店。


※2007年七夕頃の旅行日記です。



あちらこちらから聞こえてくる水音に誘われて、町を巡れば

江戸末期の家々や、明治・大正の洋風建築、高雅な古刹

色濃い緑陰に包まれた旅館など、興味深い建築物が点在していますが、

郡上八幡には、それほど名所があるわけではありません。

観光とは無縁の生活が息づいた、

幼い頃の、肌に懐かしい風景を思い出す、そんな所です。

こちらの染め屋さんでは、藍を発酵させる甕を、土間に埋め込んでありました。

紺屋さん.jpg

機械染めとは無縁の、手業が伺えます。

用水路で、お道具でも洗ったのでしょうか、

たわしが、ころん、と転がっています。

看板の「元祖踊下駄」の文字が、盆踊りで賑わうお土地柄。

履き物屋さん.jpg

「郡上踊」の手ぬぐいも売っておられましたが、

土産物というだけでなく、参加者には、必需品なのかもしれません。

商いには関係なく、色んな所で売られていました。

酒屋さんの前の道を右に行くと、昔の街並みが残っている「職人町」。

酒屋さん.jpg

木の看板は歴史を物語るので、今ではあちこちで大事にされていますね。

踊り強化月間()に入ったのでしょう。

スクランブル交差点(車1台しか通れない)の上では、

大きな「郡上踊」の提灯を掲げる作業中でした。

町の中心にかかる18mもの高さを持つ新橋からは、

吉田川の大瀬(だいせい)と呼ばれる早瀬目がけて、

飛び込むのが夏の風物詩だそうです。

新橋飛び込み  未経験者が挑戦すると死にます。決して真似しないように!.jpg

郡上八幡の男の子達は、小さい頃から川原の飛び込み台で度胸を付け

次はこの岩、そのまた次はあの岩と、高い所へと挑戦していき、

極め付け、橋からの大飛び込みとなるのが、通過儀礼なのだそうです。

初心者用の跳び込み台から眺めても、

岩走る水面までは距離があり、私なぞは足が竦みます。

細い道でつながれて、軒が連なる郡上八幡は、デジャヴの迷路です。

しんとした昼下がり、水音を突いて聞こえたのは、風鈴でしょうか。

母の言いつけで被っていたはずの、麦わら帽子を背中にぶら下げ

捕虫網で鯉を突いたり、葉っぱの舟を浮かべたり、

じゃぶじゃぶと水を撥ねかし、遊んでる女の子は幼い頃の私。

梅雨の厚い雲が切れ、夏の日射しに一層、水しぶきが燦めきを増す頃、

ここの軒下、あそこの路地、あぶり出されたそちこちの濃い影から、

坊主頭にランニング、短パン姿の男の子達が、

わらわらと、起き上がってきました。

じりじり肌を焼く、夏休みの太陽の下、下駄やゴムぞうりを鳴らして

少年達は吉田川へと、我先に馳せ参じます。

新橋 二人連れがいるところが、初心者用の飛び込み台.jpg

事故がないよう目を光らせる子、銀鱗を燦めかせるかのように水に潜る子、

飛び込めなくて泣き出してしまう子も、きっといたに違いありません。

橋の上には、静かに見守る女の子も、声援を送る女の子もいたでしょう。

昭和の少年少女達の小さな失望、希望や憧れ。

世界がまだ、途轍もなく広く遠かったあの頃。

逆巻く水を見ている内に、すぐそこ、私が立っている川原から、

沸き立つ子供達の歓声が、確かに聞こえてくるようでした。



※2007年七夕の旅行日記です


水の美味しい処には、旨い物がいっぱいある。

水が美味い、しかも山地となれば、蕎麦!

郡上八幡では、蕎麦が美味いに決まっている!!

宿を決めるより、旅程を組むより、私は美味しいお蕎麦モードに突入した。

吉田川にお座敷が、せり出すように「そばの平甚」はある。

平甚.jpg

ガイドブックに必ずと言っていいほど、掲載されている店なので

友人は、観光客仕様だろうと嫌がったが、これを食わずに、どこで食う!!

なんと現当主は、9代目、立派な老舗じゃないか。

予想通り、平日にも関わらず昼時は、観光客で満杯だった。

狭い土間を抜ければ、町屋らしく細長い座敷。

一番奥の席に座れば、大きな窓から、吉田川を眺めながら食事を楽しめる。

お品書きは、セット物こそ有ったものの、そば一本。

地元の名水で仕込んだ酒も、色々揃えてあり、

肴に最適なワサビの佃煮、なんてのも蕎麦に似合うコダワリだ。

もちろんお値段にも反映されていて、1000円出したら、百円玉は返ってくる。

しかし1000円で注文できる物は、厳しく限られることも申し添えよう。

初めての店では、冷たい蕎麦に限る。

珍しく、ざると盛りの両方があったが、付け出汁の甘辛の区別だった。

関西歴も随分になるが、蕎麦に甘い付け出汁だけはごめんだ。

郡上八幡のたまりをカエシに使ったという辛口出汁の、盛りをとる。

それと、平日限定「まかない焼きそば」は友人とシェアすることにした。

平甚そば.jpg

いかにも手打ちのお蕎麦は、ちょっぴり白くて細い。

狐が化けた美女ならこんな風で、田舎蕎麦と言ったら、狐に殴られそうだ。

お出汁は、醤油辛くもなく生わさびの芳香が鼻に抜ける。

うん、蕎麦の甘みに絶妙!

コシもあるし、観光客向けの構えの甘さは感じられない。が、なんだ??

蕎麦がつまみにくいと思ったら、長さが10cmほどしかない…….

ぶつんぶつんと、切れている。

客の回転率から言っても、のびた古い麺では、決してない。

こんな蕎麦なのか?!

蕎麦を平らげた頃「まかない焼きそば」が来た。

当家独自のまかない食を、当主がどこにもない味としてメニューに載せた物。

山口の瓦そばみたいなのか、まさか、

のびた蕎麦で焼きそばにしているんでは?!

平甚やきそば.JPG
なんのことはない、中華そばの焼きそばやん。

どっこい、皿には汁が溜まっていた。

ウスターソースの味で、油っ濃くはない。

炒めるというより、ウスターソースを蕎麦の出汁で割って絡めたと言った風。

豚肉ならぬ鶏肉の風味も効いていて、キャベツもしんなり柔らかい。

珍味のような懐かしいような??

見た目以上にあっさりと、郡上八幡らしい味だった。

ぶつんと切れた蕎麦の真相はいかに?!

そないに大層なモンやないけど、これもまた続きまっせ。


蕎麦屋になったのは明治からで、3代目らしいです。でも、老舗でしょ?

面倒だから9代目を名乗っておられるが、元来旧家で、20何代目だかに

 なるそうです。

 店内には、代々当主の収集お宝も飾られてます。



                 引き続き、2007年七夕頃の旅行日記です。

室町時代から、城下町として発展した郡上八幡は、

旧盆に、夜を徹して踊る「郡上踊り」で有名ですが、

今なお水と共に生きる町、としても名を馳せています。

迸る水の美しさは、やはり夏の真っ盛り、陽の暑さに燦めいてこそ、

有り難みも増そうというものですが、

何故か行ったのは、織姫と彦星も可哀想な梅雨空の七夕の頃でした。

厚く垂れ込めた曇り空の下、高速道路を乗り継ぎ、昼前には郡上八幡へ到着。

東へ行けば高山、西北に向えば越前大野、さらに北上すると、

世界遺産の白川郷へと続く、岐阜県美濃の折り重なる山懐にあります。

町の名を高らしめた用水路は、防火と日常生活のために縦横に張り巡らされ、

山から湧水を引いた川とともに、町の中央を流れる吉田川へと集められます。

大火災の教訓を活かした、江戸時代の都市計画が、今に根付き

町の周囲に寺社を配し、石垣を要塞代わりにした町割りもそのままです。

古くは江戸の末期からという家々の軒下にも、水は流れ、

各戸の門口には、60センチ四方ぐらいの深い水溜があり、


鯉や金魚が泳いでいます。

お店のご主人に尋ねたら、近年まで、そこで食器を洗ったり、

釣ってきたお魚の生簀にしていたのだとか。

もちろん今でも、堰(小さな木の板)を開けば、

きれいな水を誘い込める構造です。

料亭で飼われていた鯉は、ビリーの首ほどには太く肥えてましたが、

ペットかしら、お膳の食材かしら

 
 いがわの小径

「いがわの小径」では、民家に挟まれ幅1mに満たない水路が、

勢いよく流れ、ここでも大きな鯉が沢山、泳いでいました。

所々に、洗い場が設けられ、野菜や食器洗い、洗濯へと活用されるそうです。

その姿を見ることは叶いませんでしたが、掃き清められ、

大事に管理されている様子が伺えました。

鯉の餌も百円で売られ、道々、面白がってばらまき歩いてたのですが、

餌をうっかり手づかみし、うぇっ~!生臭い()

でも、大丈夫。

パイプから溢れ出る冷たいお水で、手を洗うことが出来ました。

小道の終点には、ちゃんと餌の空袋用のゴミ箱も備えてあります。

水の街らしく、あちらこちらに「水船」という「水道」が、

モニュメントとしてあしらわれています。

湧水や川の水を引き込み、上の槽は飲用、下の槽は洗い物と使い分け、

食べかすは魚の餌となって濁りをとり、池に流れ込むという循環型上下水道。

元々、各家庭に備えられ、現役利用のお宅が今もあるそうです。


観光協会前 これが正しい水船  やなかの小径 ちょっと前衛的(笑)

  
   やなかの小径 神社の手前にあります。   安老寺 お寺の石垣の下、道に面して

水の利用に長けていること、即ちエコロジー精神で、いかに汚さないかが、

長い歴史で培われてきたコツのようです。

和花の植え込みや短冊で軒を飾り、目を楽しませてくれた郡上八幡ですが、

まず、ゴミが落ちていません。

人目の行き届かない物陰でも、水の溜まり場でも、空き缶はもちろん、

たばこの吸い殻、紙くず、ゴミが全く目につきません。

水の恵みに甘えることなく、厳しく律し、

何よりも大切なのは、利用し続けるということ。

生き続ける水の風景に、住人だけでなく人々の感謝ある限り、

この町に、大地からほとばしる水の響きは、絶えることはなさそうです。


宗祇水 社務所?が工事中T.T
町の象徴「宗祇水」。吉田川のほとり、町中の民家の切れ目にあります。

小さなお社の下から、静かに水が湧いています。

町中の水路にしては、全体、流れが速いのですが、

浄化のためにも、水量を豊富にしているのでしょうか。

けれど、この宗祇水は、とても穏やかな水の姿でした。

因みに、どこのでも飲用OK。わずかに甘い、冷たいお水です。


                 ※ 2007年七夕の頃の旅行日記です。