室町時代から、城下町として発展した郡上八幡は、
旧盆に、夜を徹して踊る「郡上踊り」で有名ですが、
今なお水と共に生きる町、としても名を馳せています。
迸る水の美しさは、やはり夏の真っ盛り、陽の暑さに燦めいてこそ、
有り難みも増そうというものですが、
何故か行ったのは、織姫と彦星も可哀想な梅雨空の七夕の頃でした。
厚く垂れ込めた曇り空の下、高速道路を乗り継ぎ、昼前には郡上八幡へ到着。
東へ行けば高山、西北に向えば越前大野、さらに北上すると、
世界遺産の白川郷へと続く、岐阜県美濃の折り重なる山懐にあります。
町の名を高らしめた用水路は、防火と日常生活のために縦横に張り巡らされ、
山から湧水を引いた川とともに、町の中央を流れる吉田川へと集められます。
大火災の教訓を活かした、江戸時代の都市計画が、今に根付き
町の周囲に寺社を配し、石垣を要塞代わりにした町割りもそのままです。
古くは江戸の末期からという家々の軒下にも、水は流れ、
各戸の門口には、60センチ四方ぐらいの深い水溜があり、
鯉や金魚が泳いでいます。
お店のご主人に尋ねたら、近年まで、そこで食器を洗ったり、
釣ってきたお魚の生簀にしていたのだとか。
もちろん今でも、堰(小さな木の板)を開けば、
きれいな水を誘い込める構造です。
料亭で飼われていた鯉は、ビリーの首ほどには太く肥えてましたが、
ペットかしら、お膳の食材かしら…。
「いがわの小径」では、民家に挟まれ幅1mに満たない水路が、
勢いよく流れ、ここでも大きな鯉が沢山、泳いでいました。
所々に、洗い場が設けられ、野菜や食器洗い、洗濯へと活用されるそうです。
その姿を見ることは叶いませんでしたが、掃き清められ、
大事に管理されている様子が伺えました。
鯉の餌も百円で売られ、道々、面白がってばらまき歩いてたのですが、
餌をうっかり手づかみし、うぇっ~!生臭い(泣)
でも、大丈夫。
パイプから溢れ出る冷たいお水で、手を洗うことが出来ました。
小道の終点には、ちゃんと餌の空袋用のゴミ箱も備えてあります。
水の街らしく、あちらこちらに「水船」という「水道」が、
モニュメントとしてあしらわれています。
湧水や川の水を引き込み、上の槽は飲用、下の槽は洗い物と使い分け、
食べかすは魚の餌となって濁りをとり、池に流れ込むという循環型上下水道。
元々、各家庭に備えられ、現役利用のお宅が今もあるそうです。
水の利用に長けていること、即ちエコロジー精神で、いかに汚さないかが、
長い歴史で培われてきたコツのようです。
和花の植え込みや短冊で軒を飾り、目を楽しませてくれた郡上八幡ですが、
まず、ゴミが落ちていません。
人目の行き届かない物陰でも、水の溜まり場でも、空き缶はもちろん、
たばこの吸い殻、紙くず、ゴミが全く目につきません。
水の恵みに甘えることなく、厳しく律し、
何よりも大切なのは、利用し続けるということ。
生き続ける水の風景に、住人だけでなく人々の感謝ある限り、
この町に、大地からほとばしる水の響きは、絶えることはなさそうです。
町の象徴「宗祇水」。吉田川のほとり、町中の民家の切れ目にあります。
小さなお社の下から、静かに水が湧いています。
町中の水路にしては、全体、流れが速いのですが、
浄化のためにも、水量を豊富にしているのでしょうか。
けれど、この宗祇水は、とても穏やかな水の姿でした。
因みに、どこのでも飲用OK。わずかに甘い、冷たいお水です。
※ 2007年七夕の頃の旅行日記です。




