柊子のこと。旅立ち 第4話 | ヨウコのブログ

ヨウコのブログ

日々のあれやこれ、2024 3/4に10歳で旅立った愛娘の柊子(柴犬メス)との思い出、旦那や家族のことを備忘録&ボケ防止かわりに記録

映画に時事ネタなどの持論や私見を無責任に綴り中。幸か不幸かお目にされた方はご来訪に感謝申し上げ候m(_ _)m

柊子の旅立ちの記録。続き
 




馬肉ミンチスープは細かい野菜入りだったから、消化の悪い野菜はよけた。アレルギー皮膚炎を治そうと、手作り食事とか憧れたが。日本犬なのに米がそもそもアレルギーらしい💦ブロッコリーや人参は柊子の胃腸では消化不良でダメだったなぁ


話を戻し
スープと馬肉のそぼろを少しを与えたところ、

『なんだコリャ!  まだこんなに旨いものがあったのかい!  まだおちおち死ねんわ! クワッ‼️  もぐもぐ
とむくりと首をもたげて猛然と食べ始めた



…のは数口まで。


今にして思えば、お疲れ気味の父ちゃんがわざわざ隣町まで行って買い求めてくれた桜肉を賞味してやらねば!  と奮起してくれたのかも。まったく健気なワンコえーん


その後はとうとう、首の筋肉もそげ落ちてしまったのか、ガクガクと左右に振れだし、水を飲もうにも頭が定まらないため難しくなる。しかし喉は乾くのか、可愛い舌をペロッペロッと出す。このサインをすかさず見逃さず、その都度に顔を起こしてスプーンで少しずつ水分補給。馬肉スープは父ちゃんの手前、お愛想でその後も数口だけ飲んでくれたが、わずかだった。

午後になり
🚻に行きたいのか、寝床の中で何度かよじる。寝床を汚したくないから我慢しているのかもしれないと抱き上げて庭先に連れて行ってもせず。朝方に一度したきりだったが、水ももうろくに飲めてなかったので出すモノももう無いんだろう。




お日様が出てきて気温も上がっていた。陽だまりができたんで、いつもの好きだった庭先の定位置へと旦那が抱えて数十分ほど寝かせてあげてた。



同日の夕方。
我々が夕飯を終えた頃を見計らったか、寝床のカゴの中でもぞもぞと動く。手足をピーンと突っ張らせてきた。伸ばした脚は思いのほか強くて、伸びたまんま。痙攣までではないけど(痙攣の一部かもしれないけど)これはいよいよか…と思い、旦那の座椅子をフラットにして、トイレシートを敷いてからその上に寝かせてやる。


フラット態勢にしたら、呼吸がいくらかしやすくなったぽい。腹水でも貯まってきてしまったのか、お腹もパンパン。背中や手足は痩せ細り、皮と骨だけなのに。もはや身体を丸めることは無理。フラットに横たわらせてやっても、たまに居心地が悪いのか足を駆けるよう掻くので、寝位置をたびたび変えてやる。


午後からはもう身体が弛緩しきっていて、タコみたいな軟体動物化し、ぐにゃぐにゃになってしまったのは驚いた。もう各筋肉を緊張させることがままならない様子。頭もグニャリと垂れてしまうため、どこをどう支えてやれば良いのか分からず難儀、二人であちこち持ち支えてどうにかこうにか移動を試みた。


そうこうしていても、敢えなく旦那がタイムアウト。

予感は重々にあったが。翌日は早朝出勤のため服薬して寝てもらうことに。断腸の思い。ガックリと肩を落とし。震える手で柊子の頭を優しく何度か撫でてやり、就寝。最期まで付き合えず可哀想だったが仕方ない。病身なので旦那もしっかり寝てもらわなければ💦

柊子もいろいろ考えていたらしい様子。今逝くと、旦那が休息できなくなるのがわかっていたから頑張ってたかも。
『父ちゃん今日は旨いモノありがとー。お休み~』と言っていたぽい。



その後。
うっかり明治の皇后様の太礼服なるドレス修復のドキュメント番組録画を見入ってしまった。番組が終わった頃に、ふと我にかえり柊子を見ると、布団のタオルケットの膨らみが確認しずらくなり、呼吸がゆっくりとなっているのに気がついた。


あわてて駆け寄った瞬間だった。咆哮するように口を開けて舌を出して、ハアーッ‼️  ハアーッ‼️  ハアーッ‼️  と息をした。

三度目の吐息のあとは、見開いた瞳から力というか光が、徐々に失なわれてゆくのが分かった。ピーンと伸びていた脚の緊張感もなくなる。伸びたゴムが縮むように、ゆっくりと丸くなっていった。

頭を撫でながら呼びかけたが、反応は無かった。呼吸の胸の膨らみ、吐息も途絶えた。温もりはまだまだあった。でも、だらりと垂れた白くなってしまった舌が出たまま戻らなかった。念のため、お医者さんの真似事し懐中電灯で瞳を覗くと、反応はなかった。円らな瞳に広がる白内障みたいな白い曇り。瞳孔はもう微動だにしなかった。


とうとう終わったんだなあと。やっとやっと、苦しみから解き放たれたんだなぁと。今までの感謝と、結局は安楽死処置もさせず、苦しみをあまり見せなかったけども、辛く苦しかったろう長患いさせてしまったと思えば罪悪感もひとしきり。中治り現象もあったけど、悪性リンパ腫ぽい宣告を受けてから1ヶ月と4日。長引かせてしまった労を労いつつ。

アッコさん(大好きだった実家の犬)が迎えにきてくれてたら、一緒についてお逝きなさい!  光が見えるからね。その光に向かって飛び立つんだよ!  と知ったかぶって指示した。

怒涛の悲しみと寂しさはもちろん押し寄せてきた。が、やっと苦しみから解放された柊子を思うと正直 安堵感も大きい。お疲れ様でした、ありがとうねぇを繰り返し。


愚痴だが、最期くらい泣き言を言ってもらっても良かったのになぁと。あの可愛い可愛い声は一言も聞けず終いだった。ネット見てたら、一吠えしてから、お別れの挨拶してから旅立ったとか、よく見かけた。

先代犬は長らく遠吠えがあったし。あんなの見ると、やっぱり狼の末裔なんだなぁと実感する。金神でもあったけど、寿命を悟った狼が仲間達にケリをつけてもらう為に。足手纏いになるからと、離れていた群れを今一度呼ぶために咆哮するアレ。哀しげなあの遠吠えは雄だけの特性かしらん?  

金神といえば、源次郎ちゃんがマタギを送るあの言葉、韻というか語句がとても美しくて感動した。最期はあれ真似しようと思ってたんだけども忘れてた。



ていうか、柊子はとてもとてもお利口さんだったので畜生道よりランクアップして人間になれるのは確実に確定だけども(親馬鹿)。


うっかり輪廻転生してしまったら。こんな末恐ろしい世界だし。先行きもかなり怪しい今世へ、まーた舞い戻り、辛酸舐めて生きるのは酷だろう。

なので、転生道はもう解脱して欲しいと願う。もうね、ゆっくりと天国で楽しく安らかに暮らしてて。そこでまた逢おうね!  と約束した。暫しの別れと思えば辛くない。たぶん。



でもって。我が家はやっぱり昔ながらの仏教要素も重んじているところがある。結婚式は神社で神道、年初めとかは初詣など気張って詣でるくせに。

こういう時にはやっぱりお経がシチュエーション的に相応しいと思えてならず。とりあえず般若心経を諳じてみたが、やっぱり中盤を失念。アンチョコを取り出して唱えてみた丑三つ時。


陰膳もそれっぽく作った。ドッグフード山盛りと、桜肉スープ、ちゅーる等の精進料理におおいに反したメニュー。割り箸にティッシュ巻きつけて死に水も準備。守り刀は母の形見の美容師時代のハサミ(理由は続編にて)を胸元に備えて悪霊退散。


49日間はまだまだ旅立ちの途中だろうから、道中に怖いことないように。可愛い可愛い我が娘が無有恐怖 で無事に浄土へたどり着けますようにひたすら願う。

掲諦掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦 菩提薩婆訶

 

往き往きて 彼岸に到達せり 悟りよ 幸あれ










続く。火葬のこととか記す予定。たぶん