
うんざりだ…
令宣の眉間には深い皺が刻まれた。
妻・徐羅元娘の葬儀が一段落しかけた頃だ。
令宣は庭で言い争う声を聞いた。
見ると妾達、女三人が寄って口喧嘩をしている。
文姨娘と喬蓮房が甲高い声を上げていた。
内容の逐一までは分からないがこの屋敷の正室が亡くなったのだ。
弔う気持ちがあれば言動を慎み大人しくしているのが常識だろう。
文姨娘が元々が姦しい性なのは知っていたが喬蓮房までが彼女に同調しているのには呆れた。
「正妻が亡くなったばかりと言うのにもう互いに権力を争って牽制し合っている…そんな妾が必要なのか?」
傍に居た照影に言うともなく愚痴が出た。
喬蓮房を姨娘と呼ぶのは令宣にとって苦痛だった。
実際彼女を娶る羽目になったのは言わば諮られた出来事によるもので不本意だ。
令宣にとって悪夢でしかない。
あの春日宴の日、彼女がどうしても彼に嫁ぐと言い張った時には心から驚いた。
蓮房は昔からよく屋敷にやってくるただの親戚筋の少女だとしか思えなかった。
それが何故こんな事態になった?
苦々しい思いに囚われた令宣は放念しようと頭を振り払い、仕事にかこつけて軍営に逃げる事に決めた。
令宣は母に挨拶をする為福寿院の居間へ戻った。
「母上、母上のお蔭で元娘の葬儀が滞りなく済みました。休んでいたあいだに随分と片付けなければならない仕事が山積しております。軍営に戻ります。暫く屋敷には戻れません」
大夫人はふう…と溜息をついた。
「そうかい…仕方ないねえ…お役目だものねえ」
「申し訳ありません」
大夫人は、けれど押さえておかなければならないと言う風に切り出した。
「だがな、令宣…喪中のあいだは仕方ないが、三ヶ月経てば喪が明ける。その時は分かっていると思うが…」
令宣には母の言いたい事が手に取るように分かっていた。
「分かっております母上。それではこれにて失礼します」
大夫人が全てを言い終わらないうちに令宣は頭を下げて出ていった。
「…大奥様」
令宣の後ろ姿と大夫人を交互に見ていた杜乳母が気遣わし気に声を掛けた
大夫人は先程より更に大きく息をついた。
「ふう…逃げられたわ…蓮房の事を頼もうと思ったのに…令宣には呆れたわ」
杜乳母は大夫人の腕に手を伸ばしてゆっくりと揉んで慰めた。
「大奥様、四旦那様は仕事一筋の方ですから…今は我慢しましょう。暫く時が経てば喬様の元へ通われるようになりますよ」
「そうだと良いがなあ…」
蓮房のあの顔立ち、気品と学識…令宣は何が気に入らないのだ。
一筋に令宣を想うあの子を…。
元娘のあの策略さえなければ令宣の正室にしてやれたものを…。
大夫人の思いは又もや堂々巡りするのだった。
令宣は照影に当分屋敷には戻らないから着替えや身の回り一式を軍営に運べと言いつけた。

