ある日

十一娘は令宣の着替えを運んで来た照影を掴まえて尋ねた。

夫には聞き辛い。

「照影、ひとつ聞きたい事があるの」

「何でしょうか?奥様」

「梅翠楼の燕燕さんという人の事を知らないかしら?」

「燕燕さん?」

照影はピンと来ていないようだ。

「質問を変えるわ…旦那様が例えば…宴席で顔を合わせた芸妓を知らない?」

「宴席…ですか?」

照影はそれでも尚腕組みをして左上方を凝視して考え込んでいた。

男が芸妓と接触する場所は限られている。

妓楼か宴席だ。

旦那様が妓楼に足を運ぶ回数は少ない。

先輩同僚の酒を誘われ断り切れない場合だ。

と言う事は宴席の可能性が高い。

市中の芸妓が余興を行った宴席を照影なら憶えている筈だと十一娘は考えた。

「あ、そうだ!」

照影は閃いた。

「翡翠です!」

十一娘は首を傾げた。

照影は一体何の話をしてるの?

「どなたの宴か忘れましたが…」

前置きすると照影は記憶を辿りながら話した。

「宴の余興で舞を舞っていた芸妓の簪を旦那様が目に止められたんです。それで僕にその簪の出どころを聞きに行かせたんです」

「簪…」

又もや簪だ。

「僕は芸妓からその簪を作った職人を教えて貰いました。旦那様はわざわざその職人を訪ねて奥様の為に特別に翡翠の簪を作らせました。その時の芸妓がそんな名前だったような気がします」

芸妓が徐府まで届けてくれた書き付けは旦那様に渡したので照影の手元にはない。

そうだったのね…。

誕辰に旦那様から頂いた翡翠の簪…。

一目で気に入り嬉しくて旦那様に抱きついたものだ。

あの翠が滴るような美しい玉の簪にはそんな由来があったのか。

勿体なくて毎日着けるのは躊躇われた。

「物は使わない事こそ勿体ないのだ」

そう言う旦那様の声が聴こえるようだ。

夫を歓ばせようと十一娘は大切に仕舞っていた宝石箱から翡翠の簪を取り出し髪に挿した。


十一娘は令宣が招かれた誕辰祝いや送別会、礼品を記録しておいた記録簿を取り出して調べて見た。

翡翠の簪を貰った一昨年の誕辰の前に何があったのか。

その一ヶ月前に夫は左安老の古希の祝いに出席していた。

恐らく梅翠楼の燕燕という芸妓はそこで舞っていたのではないだろうか。


けれどその燕燕が黄表紙の本を十一娘に送って来た理由が知りたい。

それが分かれば令宣を誘惑しようとした妙音坊の女将の事件との関連が分かるかも知れない。

十一娘の好奇心は鎮まらなかった。



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