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陶乳母がせかせかと羅家から戻ってきた。
「奥様、行って参りました」
「ご苦労さま、…それで母上はなんと?」
陶乳母は周囲をきょときょとと見回した。
元娘は侍女達に目配せした。
「皆、お下がり…」
陶乳母は人払いの後ようやく話し出した。
「大奥様のお云い付けによりますと…やはり碧玉を旦那様に差し出した方が良いと仰いました。その為に奥様に付けたと…」
元娘はふうと溜め息をついた。
「そう…やはり仕方ないのね…母上も熟慮された上で差配されて居たとなれば…」
「お嫌ですか?」
「喜べる筈がないわ」
陶乳母は慌てて両手を振った。
「失言でした…そりゃそうです!当然ですとも…」
元娘は眉根を寄せ苦悩の表情を浮かべた。
「文姨娘と秦姨娘達は今更気にはしないけれど…問題はお義母様よ…。お義母様が新たに妾を増やそうといい出したら厄介な事になるわ。仕方がないわ…暫く碧玉に役目を担って貰うしかないわね…」
「奥様、賢明です…それで碧玉にはどう切り出すお積もりで?」
「碧玉には母上のところに行かせるわ」
「成る程、それが手っ取り早いですね…大奥様の説得なら碧玉も納得しますよ…あ、けれど奥様…もしもですよ?万一碧玉が孕んだらどうします?」
「心配ないわ…母上から避妊薬を貰ってある…」
「流石!大奥様は用意周到でらっしゃいます」
「碧玉がちゃんと服用するかどうか毎回あなたが見届けて頂戴」
「奥様…そこはお任せ下さい!無理にでも呑ませてみせますよ」
陶乳母は胸を叩いた。
羅家に着いた佟碧玉は大夫人の部屋に通された。
「お前を今日此処に呼んだのは他でもない…元娘は今身重で令宣の相手が出来ない…こう言えば分かるな?」
碧玉は身を固くして聞いていたがやがて観念したように口を開いた。
「私が…元娘様の身代わりとして…ですか?」
「そうだ…令宣のお仕えをして欲しいんだ」
「……」
「何故黙っている。厭なのか?」
俯いている碧玉を大夫人は睨みつけた。
「お前が元娘の代わりに令宣の世話をすれば後の二人の妾から元娘を守ってやれるんだよ。お前も巧く立ち回れば今後は令宣の妾として結構な暮らしが出来るんだ。それ位は分かるな?異存はない筈だよ」
碧玉は突然苦しくなって胸を押さえた。
それを不服ととったのか大夫人は態度を硬化させた。
「嫌ならいい!他の娘を当たる。…だがな…お前の願いを聞いてここ数年銀子をかけてお前の妹を捜させているんだ。お前が嫌ならもう金輪際捜させない!」
碧玉は慌てて大夫人の裾に取りすがった。
「妹は!妹の居場所が分かりそうなのですか!?」
「お前に云う必要があるのか?」
大夫人の表情は氷のように冷たい。
これは取り引きというより脅迫なのだ。
「…分かりました…大奥様の仰せの通りに致します!…旦那様のお世話をします…ですから必ず妹を探して下さい!」
大夫人は碧玉の手を取ると人が変わったかのように優しい声を出して微笑んだ。
「分かってくれたんならいいんだよ。お前が妹に会えるよう私も努力するよ…お前も元娘に仕えて暫く経つ…これも元娘の為だと思って私の云う通りにしておくれ」
帰りの馬車の中で碧玉は泣いた。
私は一人ぼっちだ。
人として扱われては居ない。
私は大奥様と元娘様の手駒のひとつに過ぎない。
けれど此の世の中でたった一人の妹だけは諦めたくない。
一目でも会って逢いたかったと抱き合いたい。
そうすれば生きてきた甲斐がある。
その爲には…私は大奥様の言い付け通りに動くしか
道は無いのだ。
幸いと云うべきか旦那様はお優しい人のように見える。
寵愛を受ける自信はないが
少なくとも私を人間扱いして下さるような気がする。
どちらにしろ私はそれに賭けるしか望みはない。
そこまで考えると碧玉は頬の涙を拭いた。