苦しみの中からジャズの美は生まれるのか? | Nefertiti店長ブログ

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千葉県柏市にひっそり佇むJazz喫茶「Nefertiti」店長のブログ



先日、ジャズピアノ界のショパンとも言われている(そんなこと誰も云っていない?)ビル・エヴァンスのドキュメンタリー映画《TIME REMEMBERED》を観た。

あまりの壮絶さ・「時間をかけた自殺」ともいわれている彼の生き方にそしてその演奏に、観ていて涙が出てしまった。

ビル・エヴァンスに《光と影》を見た。

強い光は強い影を生むように、ビル・エヴァンスの華々しい輝きの裏側には壮絶な悲しみがあった。

彼には、ELLAINEという恋人がいた。
このELLAINEは、エヴァンスを深く愛しそして尊敬し、とても献身的な女性であった。
ビルもそんなELLAINEを信頼し深く愛していた。

そんな二人であったが、ちょっとしたボタンのかけ違いから、溝ができてしまい、とうとうELLAINEは追い込まれ地下鉄に飛び込み自殺をしてしまう。


また、彼にはハリーという兄さんがいた。

二人は子供の頃からとても仲が良く、ビルが困っているときは味方になり助けてくれスランプに陥ったときには、一緒になって悩み考えてくれた。
兄弟ゆえにそれは無償の愛であり、そこには深い深い信頼関係があった。

その最愛の兄さんが精神の病に罹り、拳銃自殺をしてしまう。

最も近い人たちが、そんな形で次々と忽然といなくなってしまう・・・。




これは1960年前後の彼が若い時のアルバムジャケットである。(ちょっと神経質なサラリーマンってな感じかなあ・・・)

この頃のビル・エヴァンスは、凄いテクニックと歌心溢れるベーシスト、スコット・ラファーロと出逢い、この世のものとは思えないほど美しく、そして深い深いバラッド曲を一緒に演奏していた。

しかし、この素晴らしい音楽をともに創りあげることができる最高の唯一無二のパートナーを、交通事故で一瞬にして失くしてしまう。

その時の悲しみはいかほどであったろう・・・。

その時以来、しばらくはベーシストが定まらない。

相前後して、苦しみから逃れるようにヤクに手を染める。





これは1975年前後の頃の写真である。

口髭・あご髭で少しでも顔を隠したいんじゃあないのかなあ、表情を見られたくないんじゃあないのかなあ・・・、と思えるような写真である。

思慮深そうであるが、何か一点を見つめ、まるで愛する身近だった人たちがいる《あちら側の世界》を凝視しているようでもある。

映画のバックに最愛のELLAINE に捧げた曲『B MINOR WALTS』が流れる。

そして、兄さんハリーに捧げた曲『WE WILL MEET AGAIN』が流れる。(もう意識は、天国に行っていたのかもしれない)

ぼくは、これらのバラッド曲が流れた時、ちょっと恥ずかしかったが涙が出て止まらなかった。

ビル・エヴァンスは、楽譜も鍵盤も見ないでただただ祈るような姿勢でピアノを弾く。

その姿は、《あちら側の世界》にいる人たちへ捧げる祈りのメロディーを紡いでいるようでもある。

ビル・エヴァンスは、苦しみの中からジャズの美をつくりあげていった。

映画の中で、デュエット・アルバムを作ったことがあるトニーベネットが、

「『美と真実を追求し、その他のことは全て捨てろ・・・』ということをB・エヴァンスから教わった‼︎」
と言っていた。

美は、光と影がつくりだす。
そこに深い陰影が生まれ、切なくてちょっと危険な香りが・・・。
そこには、痙攣するような美が・・・。



ぼくは、チェット・ベイカーの『BORN TO BE BLUE』という映画を半年前に観た。

甘いマスクのチェット・ベイカーは、当時多くの女性にモテていた。

そして、中性的な甘い歌声で多くの聴衆を魅了していた。

ぼくも、彼の切なく囁くような歌声が大好きで数多くのアルバムを持っていて、よく聴いている。(今日もカーステレオで聴いていた)

そんなチェット・ベイカーには、黒人のフィアンセがいる。

そのフィアンセを連れて、故郷オクラホマに行き、両親に会わせる。

母親はそれほどでもないが、彼の父親は、
「何で、黒人娘を連れて来るんだ」
と、認めようとしない。

また、父親は、
「お前は何で女みたいな歌声で歌うんだ!」
と、息子・チェットを非難する。

チェットは、それに対して、

「でも、ぼくは都会ではみんなが聴いてくれるんだよ。多くのファンがいるんだ」


オクラホマはアメリカ中部に位置する保守的な土地柄、そんな中で生まれ育ったチェットはだから苦しんだ。

もう二度とオクラホマには帰らなかった。(と思う)

そんな苦しみの中で、チェットは逃避するようにヤク中になっていく。

上のアルバム・ジャケットは、20歳前後の写真だ。(たしかにイケメンだなぁ)




この写真は、亡くなる数年前の写真だが、この年輪を重ねた老木のような皺だらけの顔が、痛々しい。

でも、いつの時代も癒しと寛容のチェットの歌声とトランペットは切なく胸に響いてくる。

きっと、トランペットを吹くときだけが幸せな時間だったに違いない。

音楽には心が表れる。



黒人は、1950年60年代、白人による人種差別に苦しんだ。

ジャズは悲しみの音楽であり、抵抗そして怒りの音楽であった。

そんな中、 数多くのミュジシャンが、ヤク中になっていく。

でも、苦しんだのは、黒人だけじゃあなく、白人も苦しんだのだ。

でも、その苦しみの中から、ジャズの美が生み出されたのだ。

僕たちは、そんな音楽を聴いている。