宮澤賢治と法華経についての

ご紹介〜その7

農民芸術概論綱要4の1


宮澤賢治は、とても有名な作家ですが


この世に奇跡的に一瞬だけ

ミロク菩薩のエネルギーに

あふれる花が開いた🌸


羅須地人協会(以下ラスと書きます)

おいてテキストとして使われたとゆー


農民芸術概論綱要(以下綱要

書きます)📙とゆーのが

とても気になって目


このトコロ、ダラダラと書いてますけど

コロナのワクチンを打ってだるいので

さらにダラダラしてますけど


よろしければ読んでみてください🙏

賢治さんの菩提寺の身照寺さんの桜画像はコチラからお借りしました👈


🟦 農民芸術概論綱要を読むどー!


この綱要本

解読するのに結構骨が折れるスゲー内容だし

急ぐと大事なモノを取り落としそーな気も

するしダウン


桜も咲いたし🌸

あまり急がずに、ゆっくりと、テキトーに、

だらだらと、読み解いていこーと

おもうんだけども


🟦が原文です

🟥が私のテキトー読みです🙏 



🟦4章 農民芸術の分野



🟦どんな工合に

それが分類され得るか


🟥真善美を⭐️

現次元において表現しよーとするとき✍️

どんな具合になるのか?


🟦①

声に曲調節奏あれば

声楽をなし👄


音が然れば(すれば)

器楽をなす🎺


🟥①

🟥A

真善美⭐️に近いものは

自然の音そのもの🎶


自然の癒し音についてはコチラ👈


🟥B

この自然の音に近いもの♬

を追い求めるのが器楽で♬🎺🎻


純然たる音の世界を求めて探究


高音から低音まで様々な楽器

使って表現しよーとしたり♬


不協和音なんかを伴う

複雑化した音とかで

自然音に近づこうとして♬


ドビュッシーとかラベルとか

ジョンケージのよーな天才があらわれる🎶





ジャズならちょっとうるさいけど

ジョン・コルトレーンとか

エリックドルフィーの晩年作とかが

ハマるかな?




🟥C

このBが、

単純化、劣化、俗化して、


曲調とか節とか奏法が加わって

音楽を楽しみ感動できる

レベルになって♫




🟥D

音や音楽を表現しよーとすれば

声楽で表現できるし


🟥E

このよーには🎶

様々な解釈をされて

一般化されていって

音の文化となっていく♪


🟥F

やがて音の文化は♪

利己的で、文化的で、理知的

生き方の側面からの影響で


音は♪

切り売りされる道具となり、

美や知をも切り売りする対象

とし始める



🟥G

そして、

利己的で、文化的で、理知的

な生き方の側面は

文明の壁を作り出して


本来の

真善美の音のエネルギーを🎶

そのまま

素直に受け取るコトが

できなくなってくる


🟥H

そのよーな壁」が影響して


本来の

素朴で🌱

素直で☀️

温かな音は♨️


文化で色付けされた🏷

お金のかかる💰

知性で味わうよーな👓

自分のモノにしたくなる💿

切り売りされる商品🎁


のよーなカタチになってくる


🟥このHの

切り売りされるよーな作りを


賢治さんは

「準志に基けば」

と言っていて


この準志とゆーのは、


「より一般化された🏫

より社会化された🏢

記号化された🅰️1️⃣ア

低級と高級の差のある💰

利便性のある🚗

流通しやすい🎁

商品のよーなカタチ💎」


のコトだとワタシは理解したけど


音の準志のカタチ」について

賢治さんは綱要で書いていない


後で書くけど、

コトバとか、とか、行動とか、

他の感覚では

準志のカタチを示してるけど

なんでだろーなー?


文明のカタチと自然のカタチの狭間の

準志のカタチ

については書きづらかったのかな?🎶


あるいは、

その当時はあまり騒音がなかったし

クラッシックなんかに慣れ親しんでた

賢治さんには🎻


音については

何か特別なものを感じていた

からかもしれないな🎶


綱要の中では書かれていない

準志に基づいた音って何かな?

となると


1️⃣音を楽しむための通信機器

を含むインフラとかで


➡️その中ででてくる、

わずらわしさや、複雑さや、

公害や、経済の動きなどが

準志に該当する音とかかな?


⬇️


身近なトコロでは

高級オーディオ沼にハマってしまう

とか

好きなアーチストに課金して

しまうとか


音楽配信にお金を使うとかとか



2️⃣あるいは

音楽の切り売りするために

必要な仕組みにハマってくる

全ての組織のカタチとかかな?


➡️その中ででてくる、

組織運営や、経済の動きや、

ヒトの動きなどで

自然感覚を失っていくトコロ

準志に該当するかな?


⬇️


身近なトコロでは

コンサートの企画とか

音楽の販売の仕組みとか

流行に合わせた音作りとか


3️⃣あるいは、

音の美意識を切り売りする

ための仕組みそのもの

とかかな?


➡️その中ででてくる、

ヒトの好みの違いや、


商品の文化度の高低差とか、


耳で感じる究極の音

とか


商品化しやすいモノにハマる

とかが準志に該当するかな?


⬇️


身近なトコロでは好きなアーチストの

コンサートチケットや

音源が欲しくなる

よーな感じかな?


🟥こーゆー準志が暴走すると🔨

経済の動きや、

ヒトの動きなどで

自然の感覚を失っていって


複雑さや、

猥雑さや、

経済優先的な、

反自然的な音が生まれてくる


⬇️


うるさいオーディオや📢

ライブの爆音や🎸

近代文明から出る騒音や✈️

都会のノイズといった向きも🚗

そーゆー向きに当たるかな?

とも思うけど🔨


🟥なので、

純然たる自然の音に🎶

悩める現代人が癒される

のにはワケがある

とゆーコトになるし


松の音がサイコーとゆー

理由にもなるし

音霊法を古神道でオススメ

する理由でもあるだろーし


音霊法のコトはコチラ👈


↕️


こーゆー


自然の音から

かなり遠ざかった音が、

美的で、文化的で、商品化

された音であるとゆー構図


は、とても面白いなーとおもうし

このあたり短い文だけどむずかしい作りに

なっているとおもった


🟦②

語まことの表現あれば

散文(普通の文章)をなし

節奏あれば詩歌となる


🟥②

🟥A

真善美に近い

直観で得られる真理があって⭐️


🟥B

Aに近いのは、なんだろ?


直観を呼び込むよーな祝詞とか?

マントラとか?


チベット密教の聖音OMについてはコチラ👈


様々な国の印象的な聖音をもちいて

真理に近づこうとするとか?


ユングさんが元型から与えられた

直観的な言葉とか?


ユングさんの元型のコトはコチラ👈


真善美に近い⭐️

自然の表現そのものの母音とか

赤ちゃんのコトバとか


賢治さんが追い求めたよーな

オノマトペ的な擬態語

とかも近いのかな?


真善美のエネルギー感⭐️

を言い表そうとする仕組みは、


ソシュールによる

コトバの五段階脱構築の

最終段階がそれにあたる気もする


ソシュールのコトバの五段階脱構築のコトはコチラ👈


また、

真善美そのものは⭐️

どーせ完全には表現できない

語りえぬものだから


沈黙して静かに自身を整えて

神の恩寵を待つ他ない


としたのがウィトゲンシュタインの論考

だったけど


これもAを見ようとする仕組みで

あった気がする


ウィトゲンシュタインの論考のコトはコチラ👈



🟥C

やがてエネルギー感⭐️を

キチンと伝えられないとゆーイミでの

単純化、劣化、俗化した

コトバ


⬜︎素直な表現の簡単な

ハナシコトバによる


⬜︎素朴で

⬜︎感動的な敬神の態度のある

⬜︎こだわりのない

⬜︎フツーで

⬜︎自然な田舎風の飾らない

コトバとか

⬜︎素朴な神の表現とかに

変わっていって


賢治さんが幻視したであろう目

銀河鉄道の夜的な🚂

児童向けの文学のよーな感じのする


これはこれでとても良い

自然にごく近い

ボクトツとしたコトバとなる

コトを


賢治さんが散文といってる気がするな


🟥D

そこに、

五七五調とかの語調とか

季節感やらの自然の切り方とか、

語法とかが加わって


詩歌とか芸術的な世界観が出てくる


🟥E

このよーにコトバは、

様々な解釈文化になっていく


🟥F

やがて文化は、

利己的で、文化的で、理知的

な生き方において、

切り売りされる商品のよーな

真理、知、用を求め始める


🟥G

その流れで、壁を作り出して

本来の真善美のエネルギー⭐️


そのまま素直に受け取るコトが

できなくなってくる


🟥H

そのよーな壁が反映して、

コトバは演説、論文、教説

なんかのカタチになってくる


🟥このG Hのあたりを

賢治さんはこの後の

四章の⑦


声 語 準志に基けば

演説、論文、教説をなす


とゆーよーに書いていて


ハナシコトバや

書くコトバについて

準志を基本として

演説や、論文や、教説なんか

テキストが出てくる


といってる気がするなー


この「準志」とゆーのは、


「より一般化された🏫

より社会化された🏢

より記号化された🅰️1️⃣ア

低級と高級の差のある💰

利便性のある🚗

流通しやすい🎁

商品のよーなカタチ💎」


のコトだとおもうので


テキスト化されたコトバが📙

記号として切り売りされる

うちに🅰️🅱️


その生命感を失って🌱


本来の純粋な、

みずみずしい、

味わいのある体験🌈

を言い表した

コトバのエネルギー感が

失われて


商品化されるコトをいう

だろーし


そもそも、

そーゆー純粋なものから

遠ざかって


飾りだらけの(我欲)

社会的な(文明)

悪意や反意やわかりづらい

(偽り)

演説や、論文や、教説

でてくるのも

この世の必然とゆーことも

あらわしているだろーし


なので


飾らない(自分のない)

素朴な(自然な)

純粋な(偽りのない)

神に対する祈りのよーな

コトバに

悩める現代人が癒される

のにはワケがある


とゆーコトになるし


神道のノリトも

本来、赤心(赤ちゃんの

よーなココロ)で奏上

しなきゃ意味がない


とゆーのもこのあたりだろーし


↕️


こーゆーものから

かなり遠ざかったカタチが

知的で、文化的で、理性的な

記号チックなコトバである


とゆー構図は、とても面白いなーと

おもった


このあたり、賢治さんは短い文にしてる

けど、ここの四章は、その実、

かなりむずかしい作りになっている

よーな気がするけれども


🐾 🐾 🐾 🐾 🐾 🐾 🐾 🐾 🐾


ちょっと体調が悪いので、

また時間がある時に、

四章の途中から書きますので、


くだらないブログですが

よろしければまた読んでみてください!


それでは!また!👋