閻魔天(2) | Just One of Those Things

Just One of Those Things

Let's call the whole thing off

閻魔天 』より。



閻魔天は、死者の善徳と悪徳を裁く閻魔大王です。



地獄の鬼たちを支配する恐ろしい顔をした神様といえば、子供でも、赤ら顔で目をらんらんと輝かせ、黒い冠をかぶり、赤い衣装を身につけた閻魔大王を思い出すでしょう。


その閻魔大王が、閻魔天なのであります。



閻魔天はインドでは「ヤーマ」といいます。


音を写して炎摩、焰魔羅などの漢字があてられています。


ヤーマには一対をなすという意味があり、双王とも訳されます。


ヤーミーという妹と双子であったともいわれています。


その他、死王、獄帝などといわれることもあります。



もともとヤーマはバラモンの神で、インドの古い時代には光明神の一つとして考えられていました。


ところが、この光明神が、死後に冥界に入ると、暗黒世界を主宰するもの、すなわち地獄の王とされ、死んだものの罪悪を裁く神となってしまったのでした。



仏教で世界の中心にそびえ立っている山に須弥山というのがあります。


その須弥山の四州のうちの南閻浮洲(えんぶしゅう)の南に、鉄圍山(てつちせん)というとても高い山があり、山の外側が地獄の世界となっていて、閻魔大王が住むとされています。


閻魔大王は、そこで18人の冥官と8万人の獄卒とを率いて、地獄に落ちてくる罪人に審判を下し、悪行を阻止するといいます。


その意味から、遮止王(しゃしおう)。静息王(せいそくおう)などとも呼ばれました。



『十王経』の中には、地獄における閻魔大王の様子がくわしく書かれています。


それによれば、地獄の大きな城の周囲には黒金の高い塀がはりめぐらされ、東西南北に鉄の門があり、門の左右には旗を立て、その上には暗黒天女と泰山府君の頭の形をしたものが付けてあります。


この2つの頭は、人間の善悪を見分ける能力があり、一目でその死者の罪の軽量を見定めることができるといいます。



閻魔大王の左右の魔神は、左側にいるほうは、姿がまるで羅刹(らせつ)のように怖く、つねに閻魔大王の近くに控えています。


そして、どのように些細な罪であっても一つ残らず記録しています。


右側にいるほうは、吉祥天のように優雅で、やはり昼夜を問わず閻魔大王に付き従い、いかに小さな善徳であっても一つも漏らすことなく記録しています。



閻魔大王は、この両神の記録した帳簿を細かに点検し、本人の善徳と悪徳とを判別するのです。


その帳簿のことを俗に閻魔帳とよびます。



また、閻魔王庁には、浄玻璃鏡(じょうはりのかがみ)というものがあります。


それは現在のHDD搭載DVDレコーダーのようなもので、死者の生前の行いのすべて、生まれたときから死ぬまでのことを事細かに映し出します。


そのため、いかなることも隠し立てできないといわれています。



人は死ぬと初めは7日ごと(初七日~七七日)に、その後は百ヶ日、1年、3年と計10回地獄の裁きがあり、それぞれに管轄する10人の王が定まっているとされます(その10回の地獄の裁きをする十王に対して祈りを捧げる代わりに、その本地仏をまつるのが法要であります)。


十王のひとりが閻魔王であり、他の九王とは別にして、胸に日月をつけたり、大きさや色を変えたりしてまつられています。


なお、閻魔天は地蔵菩薩の化身といわれています。



閻魔天の供養法は、古来、病気の全快、寿命の延長、災いの除去、また安産祈願などに用いられていました。