『歓喜天(聖天) 』より。
歓喜天は、暴神と観音が抱き合う、和合の神としても知られています。
大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)は聖天(しょうてん)とも呼ばれ、関西方面では、生駒山宝山寺の「聖天さん」が有名です。
東京浅草には待乳山聖天があり、大根炊きの行事や、正月のみにここで授与される大根の絵のついた巾着型の貯金箱を知っている人も多いでしょう。
歓喜天は、インドの古代神話では「ガナバチ(ガナパティ)」といい、シヴァ神の子供であります。
「ガナバチ」の「ガナ」は軍勢あるいは多数を意味し、「バチ(バティ)」は主あるいは所有を意味しており、あわせて軍の統率者を意味します。
すなわち、父であるシヴァ神の眷属を統括する神にあたります。
また、古くからガナバチは、人に障害をもたらす象頭人身の鬼神、「ビヤナカ(ビナーヤカ)」(毘奈夜迦)とも同一視されています。
「ビヤナカ(ビナーヤカ)」については、次のような話があります。
昔、マラケラレツという大様がいました。
大根と牛肉を好んで食していましたが、牛がいなくなってしまいました。
すると、マラケラレツ王は死人を牛の代わりに食べ始めました。
しまいには、それも足りなくなると、生きた国民の肉を食らい始めました。
それで、とうとう、大臣をはじめ国民すべてが反旗をひるがえし、王を殺害しようとしました。
そのとき王は、大鬼王「ビヤナカ(ビナーヤカ)」となり、眷属ともども空中に飛び逃げ去ったのでした。
その後、国中に「ビヤナカ(ビナーヤカ)」の祟りで、悪い病気が蔓延します。
このときにあたって国中の人々は、十一面観音に助けを請いました。
すると十一面観音は大慈悲を垂れ、「ビヤナカ(ビナーヤカ)」の女身となって、その王のところへ行きました。
王はその女身を見て一目惚れし、その体を求めましたが、女は仏の教えに従う約束をしない限り、体は許さないといいます。
王はついにその女を自分のものとしたいために仏教守護を誓い、その女を抱き歓喜を得たので、歓喜天というようになりました―――。
歓喜天(聖天)の姿は、象頭人身の異形の姿で表される独尊像もありますが、一般的には、象の頭をした男女が相抱く姿(双身像)であります。
男天は大自在天の長男の大爆神であり、女天は十一面観音が化身した姿であるといわれています。
抱擁像のうち、相手の足を踏み抑えているほうが十一面観音です。
この象頭人身の双身像のほかにも、少数ではありますが、象頭人身の単身像、多頭多臂像、象頭猪頭の二天が相抱く双身像などがあります。