『大黒天 』より。
大黒天は、もとは福の神ならぬインドの大魔神です。
大黒天といえば、七福神のひとつとして庶民の信仰をあつめてきました。
ふくよかな顔に笑みをたたえ、宝を打ち出す小槌を持ち、片方の肩に袋をかついで、袴(はかま)をつけ、米俵に足をかけている大黒天の姿は、いかにも純日本的な福の神という感じがします。
しかし、もともとの大黒天はインドの神様で、それも福の神どころか、忿怒の魔人でありました。
大黒天のインド名は、「マハーカーラ」です。
「マハー」は大、「カーラ」は時、または暗黒という意味で、これを訳すと大時・大黒となります。
その名のとおり、ブラックホールのようにすべてのものを呑み込んで無にする暗黒破壊の神、シヴァ神の一化身であるとされます。
大黒天は、密教においては、人を殺して生き血や人肉を食らっていた悪魔、荼吉尼(だきに)をこらしめ改心させるために、大日如来が忿怒の形相を現した姿であるとされます。
そのため、大黒天の本来の姿は、どくろの首飾りをし、手には剣を持ち、合掌した人間の髪や羊の角をつかみ上げ、三面の顔の目で四方を睨み付けているというもので、今日の柔和な大黒天とは似ても似つかない恐ろしい姿をしているのであります。
また『孔雀王経(くじゃくおうきょう)』にも大黒天のおどろおどろしい側面を示す次のような話が載っています。
昔、ウシニ国の東にシャマシャナという名の死体を捨てる林がありました。
夜になると、この林を大黒天が無数の眷属(けんぞく)、鬼神をひきつられてめぐり歩いていました。
そして、大黒天の不思議な力を借りようとする人間と取引したのであります。
その取引の代償は、おぞましいことに人間の血肉であり、その差し出す血肉に応じ、延命長寿の薬や、体を透明にして姿を消す秘薬などを与えました。
しかもこの場合、大黒天と取引する者は、必ずしかるべき修法(しゅうほう)で自分の身を加持(かじ)しなければ、血肉だけを取られて何も得ることができませんでした。
日本に大黒天信仰が入ってきたのは、密教が伝えられた平安時代の頃からです。
中世以降は、神道と仏教を折衷(せっちゅう)する考え方、専門的に言えば、神仏習合思想の影響が強くなり、「だいこく」の音と、袋をかつぐ姿の類似から、日本古来の神である大国主命(大国はだいこくと読める)と同一視されるようになっていきました。
そして、室町時代になると、インドにおいては恐ろしい忿怒の神であった大黒天も、福の神とみなされるようになりました。
吉祥を招く七福神の一神となった大黒天は、ますます庶民に親しまれ、信仰を集めるようになったのであります。