大黒天 | Just One of Those Things

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Let's call the whole thing off

大黒天のサンスクリットの種字は「マ」。


真言は「おん まかきゃらや そわか」。


梵名は「マハーカーラ」。


大黒天は、もとは戦闘神だった財福神です。



マハーカーラを「摩訶迦羅(まかから)」と音写し、大黒天・大黒天神・大時(だいじ)などと漢訳されます。



古代インドにおいては、シヴァ神と同体である大自在天の化身として、戦闘をつかさどる神とされました。


仏教に取り入れられてからは、戦闘神の性格に財福神としての性格が与えられ、しだいに後者の性格が強調されていき、信仰の中心となっていきます。



大黒天のその容姿は、6臂像と2臂像がありますが、信仰の変遷(へんせん)により変化をとげています。


現図胎蔵界曼荼羅の最外院に表された、3面3目6臂の忿怒形は、左右第1手で剣を横たえてとり、左右第2手で人頭と羊をとるとともに、第3手で背後から象皮を張り立てて荷葉座(かようざ)に坐しています。


その姿は、古代インドにおいて仏教に取り入れられる以前の戦闘神としての性格を残すものといえるでしょう。



一方、2臂像は、寺院守護神として、神将形の姿で右手に小さな袋包みの口を握り、左手に宝棒を持って岩座に坐るものと、狩衣を着て左手に袋をかたげて立つものと2様あります。


ことに後者は、やがて「大黒」が「大国」との音通により「大国主命(おおくにぬしのみこと)」と習合して、右手に打ち出の小槌を持たせ、さらに俵に乗る姿へと発展し、わが国・日本における大黒天信仰の中心となるものであります。


そして、近世に入ると、この大黒天はさらに福徳神である毘沙門天・弁才天と習合して、3体を合体した「三面大黒天」の信仰へと展開していきました。



なお、近世以降、民間信仰において、60日に1回の甲子(きのえね)の日に大黒天に参詣する「甲子詣り(きのえねまいり)」が盛行しましたが、これは大国主命の危難をネズミが助けたという『古事記』の説話に由来するものであります。