吉祥天は、財宝を身にまとった稀代の美女神です。
ヴィーナスは、美の象徴として知られていますが、仏教の神々の中で、あの弁才天をしのいで一番美しい女神とされているのが吉祥天です。
吉祥天は、インドでは、大いなる幸運を意味する「マハーシュリー」という名前で呼ばれています。
その意味を訳して功徳天、もしくは吉祥天といわれるようになりました。
インドの神話の中では「ラクシュミー」とも呼ばれており、海から生まれ、ヴィシュヌ神すなわち那羅延天(ならえんてん)の妃となり、やがて、愛欲神カーマ(愛経『カーマ・スートラ』のあのカーマ神である)の母となった神です。
それが仏教に取り入れられると、今度は徳叉迦という竜王を父、鬼子母神を母に持つ、毘沙門天の妃(一説によると妹)とされるようになりました。
吉祥天の姿は、中国の唐の時代の貴婦人の服装で、冠をかぶり、さまざまなアクセサリーを身につけ、天衣をまとい、左手に如意宝珠(思いのままに願いをかなえるという玉)を捧げ、右手は手を下げて前に向けて開く施無畏の印を結んでいるのが一般的です。
京都の浄瑠璃寺、鞍馬寺、奈良の法隆寺、興福寺の像がよく知られています。
仏教などにまつわる奇譚(きたん)も数多く採集した説話集『日本霊異記』・『今昔物語』には、吉祥天を信仰して大いにご利益を得たという話がいくつか出ています。
また、吉祥天が美女の代表的存在として、多くの信者たちのあこがれの的ともなったことを示すエピソードが『日本霊異記』に載っています。
それによると、聖武天皇の頃、信濃の国の優婆塞(うばそく)が、山寺に祀られている吉祥天像に一目惚れしてしまい、吉祥天のように美しい女を我に与えたまえと願をかけ、吉祥天と夢で交わることができ、その証拠が天女像に残っていたというのです。
七福神が現在のメンバーに定まる前には、吉祥天が福禄寿(ふくろくじゅ)の代わりに七福神の中に加えられたこともあり、その美しい姿が弁財天の天女としての姿に影響を与えています。
また、吉祥天と弁才天とは、ともに福徳を与える神として、しばしば混同されることもあります。
東京の吉祥寺の地名は、太田道灌(おおたどうかん)が江戸城を造営する際に、井戸から「吉祥増上」と彫られた印を得て、これにちなんで増上寺と吉祥寺(東京都文京区に現存します)の2寺を建立しましたが、その吉祥寺の門前町が同地に移転したために生まれたものです。