吉祥天 | Just One of Those Things

Just One of Those Things

Let's call the whole thing off

吉祥天のサンスクリットの種字は「シリー」。


真言は「おん まかしりえい そわか」。


梵名は「シュリーマハーデーヴィー」または「マハーシュリー」。


吉祥天は、福徳をもたらす毘沙門天の妃です。



梵名の「シュリーマハーデーヴィー」を「室利摩訶提毘(しりまかだいび)」、「マハーシュリー」を「摩訶室利(まかしり)」と音写します。


いずれも、吉祥天女・吉祥功徳天などと漢訳されます。



吉祥天は、古代インドにおいてはヴィシュヌ神の妃で福徳をつかさどるラクシュミーのことでありましたが、仏教に取り入れられてからは、美および福徳神としての性格を継承しながら、毘沙門天の妃とみなされました。



この吉祥天の信仰は、『金光明最勝王経(今こうみょうさいしょうおうきょう)』(金光明経)ならびに『陀羅尼集経(だらにじつきょう)』に基づいての信仰が中心となっていたと考えられ、そのいずれの経典においても、福徳の女神として現世利益を説いています。



わが国・日本における信仰もこれらの経典によるもので、その信仰は奈良時代までさかのぼります。


国家レベルにおいては、もっぱら護国経典『金光明経』に基づき、罪悪を懺悔し災禍(さいか)を祓い(はらい)福徳と五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈願する「吉祥悔過会(けかえ)」の本尊として盛んに信仰が行われていました。


現存最古の奈良・東大寺法華堂像あるいは薬師寺麻布画像も、この系統のなかで理解すべきものであります。



一方、個人レベルでの信仰も奈良時代から盛んに行われていたようで、『日本霊異記(りょういき)』中巻の「窮しき女王、吉祥天女の像に帰敬して現報を得る縁」は、当代における福徳神・吉祥天に対する個人信仰の一端をよく示しているといえるでしょう。



また、この『日本霊異記』中巻には、ある修行僧が日頃信仰する吉祥天像のあまりの美しさに、欲望を抑えきれず、ある夜、吉祥天と交わった夢を見て、翌朝目覚めて吉祥天像を拝すると、腰にまとった裳(も)に男の精液がべっとりとついていたという、生々しい説話を載せています。


これは、吉祥天が福徳の女神として魅惑的に表されていたことの一端を示す、興味深い説話でありましょう。



吉祥天の姿については、『金光明経』には言及されておらず、実際の造像に際しては『陀羅尼集経』に説かれる姿(左手に宝珠をとり、右手は施無畏印とする)に基づくものが主流を占め、唐代の貴婦人の姿をとる京都・浄瑠璃寺像(鎌倉時代)もその伝統に連なる名品のひとつであります。



なお、吉祥天は、独尊としての信仰だけでなく、「毘沙門天」と一対、もしくは、これに「善膩師童子(ぜんにしどうじ)」が加わって信仰されることもあり、前者の例に奈良・法隆寺像(金堂安置・平安時代後期)があり、後者の例に京都・鞍馬寺像(平安時代後期)があります。