釈迦如来(5) | Just One of Those Things

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釈迦如来 』から『釈迦如来(2) 』、『釈迦如来(3) 』より。そして、『釈迦如来(4) 』と見てきました。


今回は、仏教伝来以降、現代に至るまで、数々の造像例を見ていきましょう。



釈迦如来がルンビニー園で生母摩耶夫人(ぶにん)の右脇から生誕直後に7歩歩んで、右手で天を、左手で地面を指しながら「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と言ったという故事を表したものが、『誕生釈迦仏』です。


通常、上半身は裸形(らぎょう)で、右手を上げ左手を下げた、ふくよかな童子形(どうじぎょう)となっています。


奈良時代の奈良・東大寺の像が代表作例です。



釈迦在世中のあるとき、釈迦が不在となったのを嘆くあまり、優塡王(うでんおう)が釈迦の姿を刻ませました。


この像は釈迦の姿をもっとも忠実に伝えていることで尊崇(そんすう)を集め、のちに中国に渡り、日本から入宋(につそう)した奝然(ちょうねん)もこの像を模刻して日本に持ち帰りました。


ところが、実は現像と模刻像は入れ替わっており、日本の清涼寺(せいりょうじ)に請来されたのが現像であるという伝説が生まれたのであります。


そして、「三国伝来の釈迦像」として信仰を集め。日本各地に清涼寺釈迦像の模刻像が流布(るふ)することに至りました。



また、釈迦が80歳で入滅する際の姿を表した涅槃像も多く知られています。


通常、右手を枕に横たわり目をつぶった釈迦を中心に、その死を悲しむ弟子たちが取り巻く、群像で表されます。