修験道と密教(6)『修験道と密教 』から『修験道と密教(2) 』より。 そして、『修験道と密教(3) 』、『修験道と密教(4) 』…とみてきました『修験道と密教(5) 』。 次に、密教の教主である大日如来と釈迦如来(釈尊)とが、修験道において、どのように考えられているかということについて触れてみましょう。 ここでも結論を先に述べれば、修験道では、大日如来と釈迦如来を二つの仏尊とせず、「自仏(じぶつ)」としてとらえるのです。 即ち、自仏としての本覚如来に相当とします。