修験道(2) | Just One of Those Things

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Let's call the whole thing off

修験道 』 より。


しかるに、修験道が目指すものは、ブッダあるいは釈尊の覚りの境界(自我や煩悩や欲望を捨てて「解脱」した、至って客観性を持ちて観自在になる境界線)を得ること、それ以外の何のものでもありません。



たとえば、修験者が山伏の形(姿)をとり、山に入って修行すること(これを「峰入り」或いは「入峰:にゅうぶ」といいます)は、峰の中に自身の身をおき、「十界」、即ち、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の六つの凡夫の世界と、声聞・縁覚・菩薩・仏の四つの聖者の世界のすべてが自分の中に具わっているのだということを理解し、かつ自分の心の本源のはたらきが動き顕われるようにすることが、本来の目的なのです。



古来、この峰中の修行を「十界修行」と称しますが、これはブッダ或いは釈尊の覚りの境界を直接的に体験しようとする甚深(じんじん)の行法であり、未修行の者には、たとえ親兄弟であっても容易には語ってはならないと戒められてきました。


そのため、修験道の行法は秘伝・口伝とされてきました。



因みに、この行法、即ち、峰入り・入峰には、その多くが女人禁制となっており、女性は峰入りできない聖域があります。