謎多き八幡神様 | Just One of Those Things

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それもそのはず、総元締めの宇佐神宮では、一度火事で資料を消失しているとの話で、わからないとの某所の八幡宮での八幡神について最も詳しい方の話です。また、その火事災害を受けたときに移されたのが北九州の倒津八幡宮というのも某所の八幡宮での八幡神について最も詳しい方の話です。


始めの出目は『八幡神の出目 』で取り上げたような話ですが、総元締めの宇佐神宮では、はじめ神奈備信仰にはじまり、中津は:『大貞八幡宮薦神社(こもじんじゃ) 』『薦神社 』『中津薦神社(大貞八幡神社) 』であることも確かな話で、火事災害を受けたときに移されたのが北九州の倒津八幡宮・・これが直系のようです。


勧請にて、これに枝葉がついての、全国二万五千箇所の八幡社の総元締めが宇佐神宮 です。また、神仏習合の理を行った一番手の社です。



  住所 : 大分県宇佐市南宇佐

  創建 : 欽明天皇 の御代、或いは、神亀2年(725年)

         (注:天皇の一覧

  旧社格 : 官幣大社

  祭神 : 八幡大神(奥)、或いは、(表)応神天皇・比売大神・神功皇后

  神徳 : 福徳愛敬・交通安全・安産・教育



その七万坪を越す広大な神域には、標高647mの御許山(おもとやま)があり、この神奈備山(かんなびやま)の北北西の麓の小倉山(おぐらやま:亀山、菱形山などともいう)という丘陵の平坦なところに朱塗り・八幡造りの3つの本殿が南面しています。


向かって左から第一殿(応神天皇)、第二殿(比売大神)、第三殿(神功皇后)と並び、このほか境内には下宮・頓宮・若宮・東宮・八坂・護王などの摂社や末社が数多くあります。


現在の小倉山に鎮座したのは、第一殿が神亀2年(725年)、第二殿が天平元年(729年)、第三殿が弘仁14年(823年)ですが、八幡大神の示現は欽明天皇 の御代(539-571年)とも、或いは和銅5年(712年)ともいわれています。


すなわち、その創始の年代については150年ほどの開きがあり、諸説が入り乱れていたのであります(-"-;A


そして、その祭神についても、昔からいろいろと議論されてきています。


いうなれば、宇佐八幡の成立は、神道・宗教・歴史・・・等々の諸学会の謎となっていたのです。


何の因果か、考えたくも無いですが、神仏の縁にて、これを研究して整理しているのが、私です(-"-;A


ま、実の神前では、先祖供養も、神仏の供養も兼ねての私の家系の由縁上、きれいに整理できることをも祈願してはいました…(。-人-。)… (現在進行形) …(。-人-。)… 


発願達成については、例の10年間だけの実践仏道での僧職と同じく、同じノウハウでハードに超スピードで行っても10年はかかります・・・。 …(。-人-。)… 



因みに、我が家の神殿と仏殿については、ぼちぼちとそろってきております。仏殿ではプラスすることの座地蔵様がくることになりました。祐徳さんについては、当時の守人の尼さんから経を読み込まれてきただけにお高い神様であるので、狐ではなく、阿吽の神狐でもなく、巻物の神狐の対で(眷属としてなり)、その外側に阿吽の獅子狛犬になりそうです(以下は脱落)。今の状況下では・・・f^_^;