神社の起源と神社という言語の由来 | Just One of Those Things

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専門的な話しでは、一般的な思想においては、日本における神社は、日本神道における神々を祀る場であり、そこには当然、社殿などの施設があるものと考えられているでしょう。しかし、日本神道の原初の形態においては、神々を祀る場が、そのような建築施設を伴うものであったわけではありません。


日本の神は八百万(やおよろず)といわれるように、本来は、天地自然に無数に存在する不可視の神霊であり、祭祀に応じて特定の場所に来臨すると考えられていました。


そして、そのように常駐しない神を招き寄せる媒体=依代、あるいは神霊が鎮座するところと考えられていたのが、神籬(ひもろぎ)・磐境(いわさか)、或いは、磐座(いわくら)です。


即ち、神籬は神霊がよりつく樹木や枝の「依代」であり、磐境は岩石となりますが、古くはいずれも「神祀りの場」を広く指していました。


いずれにせよ、特徴のある自然の樹木・岩石などに神を招いて祀っていたのが、原初の日本神道祭祀のありかたであったといわれます。



一方、神の鎮まる神聖な森や山などは、「神奈備(かむなび:神が降りてくる場所の意味)」とよばれました。祝詞にも登場する、これは、その特定の場所自体が、際立った景観などで喚び起こされる神聖感の強さ、あるいはしこでなされる祭祀の定着などにより、神と不可分と理解されていった結果であると考えられています。


つまり、「神祀りの場」の定着化・固定化です。



このように、日本の神社は、起源においてはこれらの流れから、はじめ「神祭りの場」が定着し、そこに神の饗応などにつかう臨時の施設が施設が作られ、それが次第に常識化していったところに成立したといわれます。(一般的には、一般常識化していったことから、古くは古代気学に取り入れられるほか、古い建物には鬼門や裏鬼門をはずした吉相の位置にダイニングキッチンや床の間にあて、三宝荒神や神が宿るよう、取り入れられてきました。)


これは、「神社」「社」が神の占有する禁足地との意で「もり(森・杜)」とよばれたり、「やしろ(社・屋代)」が『注連縄(しめ縄)』などで区切られた神の聖域、あるいはそこでの簡素な祭祀施設を意味していることによく対応しています。


蛇足な話、奈良の大仏が原型が保つのが難しかったのは、大きさといった構造の問題だけではなく、神の占有する禁足地、或いは、『注連縄(しめ縄)』などで区切られた神の聖域、が壊されたからなのかもしれません。・・・・( ̄_ ̄ i)



しかし、日本神道の祭祀がいつごろから恒久的な社殿・建物で行われていたかを年代確定するのは難しいところです。


日本の歴史から紐を解けば、飛鳥時代辺りから次第に一般化していったと考えるのは容易ですが、日本列島が統一化されるまでの間、その土地土地において土着していた祭祀が存在していたことも、渡来人によって築かれたものなども宗教史においてはわかっています。


「神祀りの場」の定着化・固定化において一般化していったと仮定した場合、7世紀なかばの天武朝以降、律令国家体制ができるまでの比較的長い時間の過程で、国内政治体制の確立などとともに神祇精度が整備され、仏教建築の影響や山岳宗教建築などの影響なども受けつつ、神祀りのための恒久的な社殿・建物としての神社が、広く日本神道(神祇)信仰に定着していったと考えるほうが自然です。


このように、古代神祇制度が整備されていくとともに定着していった神社は「天社(あまつやしろ)」「国社(くにやしろ)」「社」「宮」「祠(ほこら)」などさまざまな名称で呼ばれるようになります。


即ち、「天社(天神社)」「国社(地祇社)」は対となる名称で、前者は天神を、後者は国神(地祇)を祀る神社であり、祀る神のあり方(つまり、天神地祇という神々の二台区分)による神社の区別となります。


また、「社」と「宮」は、神社のあり方の違いに応じた区別です。即ち、「社(屋代)」とは、祭祀施設ではあっても、神の住居を意味しないのに対し、地域の首長の住居の美称から転じた「宮(御家)」は、そこに神が住居するとの意味がこめられています。つまり、「社」が祭祀のときごとに神を招く施設といった神社の古い意味であるのに対し、「宮」は神の常在する殿舎といった、現在につながる新しい意味を持つと考えられています。


そして「祠(ほこら)」は、神を祀る小型の殿舎であります。「神庫(ほくら)・宝倉(ほくら)」とも記されているあたり、神宝を納める蔵より転じたものと言われています。


ちなみに私の家にある(神殿と仏殿)は原型の系図で大宇宙を表したものです。これには、私の家系の系図が(そもそもが大昔に渡来してきた「渡来人=豪族」で、亡命した高官で神職になったものと中国大陸の戦国で破れた渡来人の豪族掛け合わせの子孫。即ち、八幡神に関するハイブリッド)八幡宮や八幡神社に深い縁があったことや、遺伝子上、私自身が辛国(インド)の神に深い縁があることから、できる範囲内でその系図の直系の大系の守人を継いでおります。本来なら宮司をやっていたところでしょう。が、なんですね…。できる範囲内で勤めております(;^_^A