今日は、全国のお城を紹介する「今日の一城」シリーズです
今日、紹介するお城はこちら
『鶴ヶ城(会津若松城)』
鶴ヶ城と言えば、戊辰戦争の激戦地で、白虎隊の悲劇が有名ですね。
新政府軍の猛攻の前に一ヵ月も耐え、結局、城は落ちませんでした。
防御の仕掛けが多く、攻め込んでも天守まで辿り着くことはなかなかできなかったようです。
東北地方には珍しい、立派な石垣のあるお城です![下差し](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/526.png)
![下差し](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/526.png)
今から約400年前の慶長16年(1611年)8月21日、会津盆地の西縁を震源とするマグニチュード6.9、震度6以上と推定される大地震が発生しました。
民家2万戸が倒壊し、多数の死者も出る大惨事で、七層の天守閣も傾きましたが、天守閣の石垣は持ちこたえたそうです。
民家2万戸が倒壊し、多数の死者も出る大惨事で、七層の天守閣も傾きましたが、天守閣の石垣は持ちこたえたそうです。
反政府の拠点になるのではないかと恐れた明治政府は明治7年(1874)7月に天守をはじめ、鶴ヶ城内の建造物を取り壊しましたが、昭和40年に再建、平成12年には天守に続く建物「干飯櫓・南走長屋」が江戸時代の工法・技術を用いて復元されました。
そんな鶴ヶ城の特徴の一つは赤瓦です
再建当時は黒瓦でしたが、平成23(2011)年に黒瓦から赤瓦へと葺き替えられ、幕末当時の姿を取り戻しました。
赤瓦は強度があり、会津の冬の厳しい寒さ、凍結にも耐えることができたようそうです。
天守からは会津若松の街並みが一望できます
白虎隊士たちが自刃した飯盛山も眺めることができます。
新政府軍からすると敵であった為、悲劇の舞台となってしまった鶴ヶ城。
実際に行ってみるとかなり立派なお城で、江戸時代はかなり財力もあった事を感じられます
当時の会津藩の人たちは、どんな思いでこのお城を眺めていたのでしょうか
鶴ヶ城(会津若松城)
福島県会津若松市追手町1-1