人の心を結ぶ対話の力 | 創価三代の誉れ

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友情の拡大が仏縁の拡大

 仏教といえば、山奥などの人里離れた所で、黙々と修行に励むようなイメージがあります。しかし、日蓮大聖人の仏法は、社会に開かれた「対話の宗教」であり、積極的に人と交流し、対話していくことを重視します。今回は、人の心と心を結ぶ対話の重要性を確認していきましょう。

「つながり」を求める社会

 東日本大震災以降、日本では、人や地域との「つながり」の重要性が見直されています
 今年2月に行った内閣府の「社会意識に関する世論調査」によれば、震災後、強く意識するようになったことは、「家族や親戚とのつながりを大切に思う」が64・5%でトップ。以下、「地域でのつながり」(60・0%)、「社会全体として助け合うこと」(46・5%)、「友人や知人とのつながり」(43・3%)などとなっています。
 加えて、若者の間では「ツイッター」や「フェイスブック」といったSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)が爆発的に普及しており、「人とのつながり」を深める役割を担っています。
 「平成23年版情報通信白書」によると、「SNSを利用して実現できたことは?」との質問に対して、「同じ趣味・嗜好を持つ人との交流」(73・7%)、「不特定多数とコミュニケーションをとることができた」(59・9%)、「自分の周囲にいないタイプの人と知り合えた」(58・3%)、「疎遠になっていた人と再び交流するようになった」(39・4%)などの回答が寄せられました。
 今、私たちの生活をはじめ、社会や経済、政治などのあらゆる分野で、人と人との「つながり」を持とうという意識が、強くなってきているようです。

釈尊と旧友の語らい

 SNSは、人と人をつなぐ役割の一端を担っていますが、地域においては、日ごろのあいさつや声掛けなどがきっかけとなり、交流が始まります
 携帯電話やメール、SNSといった情報伝達手段がどんなに発達・普及しても、互いの理解を深め、友情を育んでいくためには、直接会って話をする「対話」が欠かせません。むしろ対話によってこそ、お互いを深く知り合えるのです。
 もともと仏教は、釈尊が友と語り合い、自ら悟った法を納得させたところから広がり始めました
 釈尊は、菩提樹の下で悟りを開いた後に、250キロ離れたバラナシ(ベナレス)近郊の鹿野苑まで足を運び、かつての友に法を説きました。その中で旧友は感化され、釈尊の弟子となったのです。また、その後も釈尊はインド中を対話に歩き、悩める人、求める人のために法を説き続けました。
 日蓮大聖人もまた、一対一の対話によって広宣流布を進めました。多くの門下への励ましをはじめ、時の権力者に対しても堂々と正義の論陣を張り、言論の力で社会を変革しようとしたのです。

 そうした「対話の魂」の結晶ともいえるのが、日蓮大聖人の「御書」です

「開かれた自分」へ転換の一歩を
「立正安国論」に学ぶ

 御書には、「疑って云く」「問うて云く」「答えて云く」などのように、問答形式になっているものが数多くあります。中でも客と主人の「十問九答」の問答形式で構成された「立正安国論」は、“対話の模範”ともいえる書です
 「立正安国論」で、客は時の実質的な最高権力者である北条時頼を、主人は大聖人御自身を想定しています。
 対話は、相次ぐ災害や飢饉、疫病に苦しむ人々を目の当たりにして、客と主人が共に嘆くところから始まりますが、当初、両者の意見は全く異なるものでした。
 経文に照らして、人々を幸福にする真実の教えを示す主人に対して、客は顔色を変えて憤慨します。しかし、主人は微笑をたたえて客を引き留め、粘り強く正義を語り続けていきます。
 誠意あふれる理路整然としたその話に、客は態度を改め、やがて自ら正しい信仰の実践を誓うだけでなく、他者の誤りを破ろうと決意して、同書は結ばれています
 主人の明快な語り口や温かな振る舞い、粘り強い忍耐力などは、対話で互いの理解を深めるための、重要なポイントを示唆しているともいえるでしょう。
 何より、こうした対話の根底には、相手の心に寄り添い、誠実を尽くそうという「同苦」の精神があふれています。
 大聖人は万人が仏になる方途として「南無妙法蓮華経」の唱題行を説き顕されました。そして、全民衆の幸福のために、生涯をかけて対話に歩かれたのです。
 大聖人は「立正安国論」の中で、「あなたはすべからく一身の安泰を願うなら、まず世の静穏、平和を祈るべきである」(御書31ページ、通解)と呼び掛けています。自分の幸せだけでなく、縁する人全てを幸せにしていく――。この「自他共の幸福」の実現こそ、仏法の根本目的です。その実現のために創価学会は、仏縁を広げる対話を実践しているのです

創価の励ましの連帯

 創価学会の池田大作名誉会長は、「時代を動かすのは、人間を信じて、人間の中に飛び込み、人間の心と心を結びゆく行動である」との信念のもと、長年、世界中の人々と対話を広げてきました。
 各国の指導者や識者と語らいを重ねる中で編まれた「対談集」は60冊を超え、著作の海外出版は42言語、1400点を数えます。とりわけ、ロシア(旧ソ連)、中国との友好の扉を開いてきた軌跡への評価は、両国で揺るぎないものとなっています。
 また、名誉会長から励ましを受けた多くの学会員も、対話を通して地域に信頼と友情の絆を広げています。

 東日本大震災後、被災地の学会員は共に同苦し、励まし合いながら前進してきました。対話を通して、地域に、社会に「励ましのネットワーク」を築いてきた学会の平和・文化・教育運動に対して、今、多くの人が称賛を送り、その取り組みを評価しています。
 名誉会長は語っています。
 「人間の交流は、まず勇気をもって対話することから始まる。それは、ともすれば、人との関わりを避け、自分だけの世界に閉じこもってしまおうとする、自己の殻を打ち破ることだ。『閉ざされた自分』から『開かれた自分』への転換の第一歩が、対話への挑戦なのである。また、私たちの結びゆく親交は、相手の幸福を願うとともに、共に地域・社会の繁栄と平和を実現していこうという心から発する、人間交流である」と。
 学会員が対話によって進める「友情の拡大」こそ「仏縁の拡大」であり、「自他共の幸福の拡大」にほかなりません。地道な対話の積み重ねが、現実を変革していく最善の道であると確信し、進んでいきましょう。

理解のために
「自行化他」とは?

 創価学会員が実践する仏道修行の根本は「自行」と「化他行」です。「自行」とは日々の勤行・唱題であり、「化他行」とは、他者の幸福を願い、対話を重ねることです。この二つは、いわば“車の両輪”のようなもので、どちらか片方だけでは、前へ進むことができません。
 仏法実践の目的である「一生成仏」とは、私たちが凡夫のありのままの姿で、この一生のうちに、本来、各人が具えている仏の境地を発揮して自身の生命を変革していくことです。その実現のためには「自行化他」の実践が不可欠なのです。
 池田名誉会長は語っています。
 「それぞれが苦悩を克服し、崩れざる幸福境涯を築き上げていくには、自行化他にわたる信心の実践しかない。大聖人は『我もいたし人をも教化候へ』(御書1361ページ)と仰せだ。自ら仏法を学び、懸命に唱題するとともに、徹して弘教し抜いていくことだ」と。
 学会員は「自他共の幸福」の実現を目指し、自らが実践するだけでなく、対話による幸福の連帯を広げているのです。