「今日より明日へ」と前進の日々を
高齢社会の本格的な到来を迎えた日本では、「第二の青春」「第三の人生」ともいわれる高齢期を、いかに生きるかが大きな焦点になっています。高齢者にとって張りのある人生を送っていくために重要なことは何でしょうか。日蓮大聖人の教えや創価学会員の姿を通して、その方途を探ります。
★理想を失うときに老いる・・・平成24年版「高齢社会白書」によると、日本の人口1億2780万人(2011年10月1日現在)に対して、65歳以上の高齢者人口は過去最高の2975万人。総人口に占める65歳以上人口の割合(高齢化率)は23・3%となっています。
今後、総人口が減少するなかで高齢化率は上昇するといわれており、2060年には高齢化率が39・9%に達すると予想されています。
これは国民の2・5人に1人が65歳以上、4人に1人が75歳以上という状況であり、経験したことのない高齢社会の到来は、国民一人一人の生き方にも大きな影響を与えています。
かつて、詩人のサムエル・ウルマンは謳いました。
「青春とは人生のある期間ではなく、/心の持ちかたを言う」「年を重ねただけで人は老いない。/理想を失うとき初めて老いる」(作山宗久訳)と。
人はともすれば、身体の衰えに伴い、気力や情熱、理想などを失いがちです。また、心が老いて、理想を失ってしまえば、たとえ年は若くても老人と変わらなくなってしまいます。
反対に、年を重ねても、毎日、目的を持って生き生きと活躍する高齢者もいます。これからの時代に問われる「いかに老いるか」とは、すなわち「いかに生きるか」ということでもあるのです。
★目前の課題に挑戦する・・・創価学会では、「多宝会」、「宝寿会」(東京)、「錦宝会」(関西)といった名称で、高齢者の方が日々若々しく、元気に活躍しています。
共通するのは、常に明確な目標を持っていること。自身の惰性や臆病の命を乗り越えて、果敢に目前の課題に挑戦していること。そして、感謝の心を忘れず、同志と切磋琢磨しながら、他者に尽くすという奉仕の人生を歩んでいること、などです。
日蓮大聖人は「人のために灯をともしてあげれば、自分の前も明るくなるようなものである」(御書1598ページ、通解)と仰せになり、他者への献身の行動が自身を幸せに導くと教えられています。
学会員の多くは、人に尽くした分だけ自分の境涯が広がった経験を持っています。
また、人生において重要なことは、「何のため」という目的観を持ち、生きがいのある充実した人生を送ることです。その点、学会員は一人一人の幸福と平和な世界の実現という目的観を確立し、その目的の達成に生きることを喜びと感じています。
さらに学会員は、こうした目標に向かって日夜、清新な決意で挑戦を重ねています。
過去にとらわれて、前に進まなければ、何も変わりません。
未来を恐れて足踏みをしてしまえば、成長はありません。
ゆえに、大聖人は、「月々日々に信心を強めていきなさい。少しでもたゆむ心があれば、魔がそのすきにつけこんで襲ってくるであろう」(同1190ページ、同)と仰せになられているのです。
「もう、これくらいでいいだろう」という油断や慢心などの心があれば、その心の隙を突いて、障魔は襲ってきます。「昨日よりも今日」「今日よりも明日」と日々、自身を成長させていく。人と比べるのではなく、自分自身と戦う。そうした人が、常に成長していくのです。
★人生と信心に定年はない! 戦い続ける“青年の心”で・・・広宣流布という民衆救済の大闘争に生き抜かれた大聖人は、御自身の闘争について次のように仰せです。
「大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし」(同1224ページ)
「一日片時も・こころやすき事はなし」(同1558ページ)
人生において瞬時も心の安まることはなかった――これが、大聖人の御一生でした。
常に自身の使命を自覚し、自らの一念を刷新しながら、新たな挑戦を続けていく。そこには「向上」や「前進」の息吹があり、生命の躍動があります。
それゆえ大聖人は、「年は・わか(若)うなり福はかさなり候べし」(同1135ページ)と門下を励まされ、年を重ねても、ますます生命力を盛んにして人生を、はつらつと充実させていけることを教えられているのです。
年齢を重ねれば、肉体的に機能が衰えていくのは当然のことです。若いころと同じように、生活を送ろうとしても、難しいことが増えてきます。
しかし、たとえ何歳になっても「自他共の幸福」のために情熱を燃え上がらせ、挑戦の気概を持つ人は、信心の年輪を重ねるほど、いよいよ若々しくなる――これが創価の生き方です。
池田名誉会長は語っています。
「人生に定年はない。信心に定年はない。広宣流布へ戦う心が、青年の証である。牧口先生は七十歳を超えても、『われわれ青年は』と、弟子たちに呼びかけられた。人間の心は微妙だ。子どもも大きくなり、経済的にも安定した。そこそこに、やっておけばいい――そういう心では、人生の最終章は立派に飾れない。戦う心を失えば、五十歳でも“老人”だ。炎の心で前進する八十歳の“青年”もいるのだ」
生涯青春の心意気で人生を歩む学会の同志こそ、高齢社会を迎えた日本における、高齢者の模範といえるでしょう。私たちは常に同志と共に、前進の人生を歩んでいきましょう。
★理解のために 「四苦」とは?・・・かつて、創価学会の戸田城聖第2代会長は語りました。
「どんな人間であっても、『生老病死』の四苦を避けることはできない。これを唯一、解決できるのが妙法である」と。
「四苦」とは「生老病死」を意味し、地位や財産があっても、避けることのできない根源的な苦悩のことです。
具体的には「生苦」とは、生まれいずる苦しみ。「老苦」とは、老いによって心身ともに衰えたことで生じる苦しみ。「病苦」とは、病気による苦痛や苦しみ。そして、「死苦」とは、死ぬ時に起こる種々の苦しみを指します。
「生」「老」「病」「死」は、人類普遍の苦悩であり、裸の人間として必ず直面し、克服しなければならない苦しみです。
こうした悩みに対して、正しい哲学に則って、自己の生命に「心の財」を積み、常楽我浄という幸福境涯を開いていくことを教えたのが日蓮大聖人の仏法です。
創価学会員は、あらゆる苦難にも動じない強き心の確立を目指して、日夜、学会活動に励んでいるのです。