師子王の心   | 創価三代の誉れ

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「勇気」を取り出して試練に挑め

 一年の出発に当たり、新たな目標を掲げ、挑戦を開始している人も多いでしょう。今回は仏法に説かれる「師子王の心」をテーマに、挑戦の一歩を踏み出す「勇気」の大切さを学んでいきましょう。

時代が求める人材像

 昨年夏、産経新聞社と駿台教育研究所は企業と大学を対象に、「時代が求める人材像」の調査を行いました。
 これは、閉塞感や停滞感に覆われる現状を打破し、激変するグローバル社会を力強く生き抜くために、若者に必要な「キーワード」を浮かび上がらせることを目的としたものです。
 106社・338大学の回答をまとめた結果、時代が求める人材像のポイントは、「挑戦する姿勢」「受け身からの脱却」「グローバルな視点」の3点であることが分かりました。
 大学・企業が求める人材像として重視しているのは、受け身の姿勢からの転換を期待する「主体性・自主性・自立性」です。特に企業では、「行動する姿勢」を育成の重点に置くべきだと考えている傾向がみられました。
 若い世代の中には、失敗を極度に恐れたり、新たな挑戦を避けたりする人が多くなっているといわれます。しかし、人は苦手分野や初めての挑戦があるからこそ成長するものです。失敗を恐れない「挑戦の心」や「勇気」を持った人材を、時代は必要としています。
 これまでの歴史を繙いても、新たな歴史や時代を転換する出来事の裏には、必ず一人の人間による「挑戦」や「勇気の一歩」がありました。
 非暴力闘争を貫いたインド建国の父マハトマ・ガンジーや、アメリカ公民権運動の指導者として活躍したマーチン・ルーサー・キング博士、アパルトヘイト(人種隔離)に抵抗し、27年半に及ぶ獄中生活に耐えて全面撤廃を勝ち取った、南アフリカ共和国のネルソン・マンデラ元大統領らは、その代表例です。
 歴史に輝く偉業の多くは、勇敢な「師子」の闘いによって築かれてきたのです。

強き信心で立ち向かう

 日蓮大聖人の御書には、「師子」「師子王」という言葉が多く見られます
 師子とは、百獣の王・ライオンのことです。
 仏法では、百獣の王である師子を仏の象徴としてきました。師子が吼えれば百獣が従うように、仏の教説は人々の魂を揺さぶります。逆境に直面している時こそ、自らが師子となって、「師子王の心」で戦うことで、逆境を変えていくことができると説くのが日蓮大聖人の仏法です
 大聖人は御書で、「悪王が正法を破ろうとする際、邪法の僧等が悪王に味方し、智者を滅ぼそうとする時、師子王の心を持つ者は必ず仏になることができる」(御書957ページ、通解)と仰せです。
 また別の御書では、「あなたがた一人一人が師子王の心を取り出して、どのように人が脅そうとも、決して恐れてはならない。師子王は百獣を恐れない。師子の子もまた同じである」(同1190ページ、通解)とも述べられています。
 ここでいう「師子王の心」とは、困難に負けない「勇気」とも言い換えられるでしょう。池田名誉会長は「『師子王の心』とは最高の勇気です。そして、勇気を奮い起こした生命に現れる本源的生命力です」と語っています。
 「師子王の心」は、万人の胸中に存在します。それを取り出すための要諦こそ、師弟不二の強盛な信心の実践にほかなりません
 大聖人が「師子王の心を取り出して」と仰せになった御書を門下に送られた当時、大聖人は、時の権力者である平左衛門尉らによって、大聖人門下へのさらなる迫害が起こり得ることを述べられています。
 仏法を受け継ぐ大切な弟子に向かって大聖人は、「竜の口の法難」や「佐渡流罪」などを悠然と勝ち越えてきた御自身と同じように、強き勇気の信心で立ち向かっていくことを教えられているのです。

正しい信仰は人間を強くする
万人の中に仏の生命が

 冒頭で紹介したガンジーやキング博士といった偉人は皆、勇気の闘争に生き抜いた「師子」でした。しかし、この「師子」としての生き方は、決して特別なものではありません。
 仏法は、万人に仏の生命があると説きます。大聖人は、その尊極な仏の生命を開く方途として「南無妙法蓮華経」の唱題行を説き顕されました
 仏の生命とは「師子王の心」であり、誰もが自身の中にある勇気を取り出すことによって、自分自身も師子となり、現実を変革していける――。この偉大な事実を教えているのが、日蓮仏法なのです。
 事実、創価学会は三代の会長の大闘争によって、世界192カ国・地域に人間主義の連帯を広げ、幾多の人間蘇生のドラマを生み出してきました。
 とりわけ第3代の池田名誉会長は、世界広布を進めるとともに、民間外交で冷戦時代のアメリカ・旧ソ連・中国を相次いで訪問。各国首脳と会見するなど、“平和の橋渡し役”を担ってきたのです。
 名誉会長の勇気ある行動によって、中ソ関係の緊張緩和や日中友好が促進され、今では、こうした偉業を多くの識者が讃えています。

名誉会長は語っています。

 「正しい信仰とは、人間を限りなく強くすることだ。『師子王の心』は、この自分自身の生命の中にある。題目を唱える人は、誰でも必ず『取り出して』いけるのだ。師子王の心を取り出せば、狐が吠えるような悪口など恐れることはない。いかなる試練にも、断じて屈することなく、誇り高く悠々と生き抜いていくのだ
 先行き不透明な時代だからこそ一人一人が勇気を奮い起こし、挑戦の一歩を踏み出していきましょう。

理解のために
「畜生の心」とは?

 「畜生の心は弱きをおどし強きをおそる当世の学者等は畜生の如し」(御書957ページ)
 日蓮大聖人は「佐渡御書」のなかで、「師子王の心」と対比して、「畜生の心」を厳しく戒められています。
 本来、自らの学識や力を生かして人々に尽くす指導層が、権威をふりかざして威張り、正義の人を迫害する――。それは卑劣な増上慢であり、その本質は臆病です。大聖人は、そうした悪逆の輩と徹して戦われました。
 絶大な権力を持つ為政者に対しても、敢然と「民衆のために奉仕せよ」と身命を賭して諫暁されたのです。
 池田名誉会長は語っています。「臆病は伝染する。そして勇気も伝染する。何ものも恐れず、進みまた進む――これが学会精神である」と。
 勇気を出して、正しいことを言い切る、行動を起こす――。信心とは、自分自身の生命に巣くう「臆病な心」「恐れる心」を乗り越えていく闘いでもあるのです