桜梅桃李の輝き | 創価三代の誉れ

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仏法は自身の可能性を開き個性を最大に開花

 創価学会では、さまざまな個性や職種、立場の人々が“自分らしさ”を発揮しながら、仲良く、朗らかに活動しています。今回の「人生を生き抜く羅針盤」では、仏法で説かれる「桜梅桃李」の原理について学んでいきましょう。

自分探しへの戸惑い

 近年、「自己分析」や「自分探し」といった言葉が頻繁に使われるようになりました。
 書店では「自己啓発」等の書籍を含めて、多くの“ハウツー本”が並び、人気を集めています。また、学生が就職試験を受ける際には、自分自身を正しく知り、的確に自分の個性をアピールすることが大事であるといわれています。

 個性とは、個人を個人たらしめる特徴であり、ある面では自分なりの主義・主張を持っていることといえるかもしれません。
 先行き不透明な時代にあって、企業や団体では今、自らの力を駆使して主体的に仕事に取り組む人材が必要とされています。その第一歩として重要なのが、自分の個性を知り、その個性に合った力を伸ばしていくことなのです。
 一方、こうした「自分らしさ」や「個性」という言葉に戸惑い、悩んでいる若者も増えています。
 「KY」という言葉に代表されるように、若い世代はお互いに「空気を読み」、あまり個性を出し過ぎないことが、円滑な人間関係を築く上で重要であると考える人が少なくありません。
 学校などの友人関係では極力個性を消し、適度な人間関係を保ってきた若者が、社会人になった瞬間から「個性」を発揮することを求められる――。現代の若者にとって「自分らしく生きる」ということは、予想以上に難しいことなのかもしれません。

誰もが“使命の花”を持っている
「ありのままの姿」で

 日蓮大聖人の仏法では、自分らしさや個性を、どのように捉えているのでしょうか
 仏法は「一人の人間」がありのままの姿で、最高に輝いていく生き方を説いていますその具体的な原理として「桜梅桃李」という考え方があります。
 桜梅桃李とは、桜も、梅も、桃も、李も、それぞれ趣深く、素晴らしい特性・個性があり、それぞれの特性や個性を開花させる、ということ。人間でいえば、一人一人の人が、それぞれ他の人にはない固有の特質・個性をもっており、それらを発揮して、生かしていく、ということです。
 このことを大聖人の「御義口伝」では「桜梅桃李の己己の当体を改めずして」(御書784ページ)と述べられています。
 大聖人は、“森羅万象の全てに、三身(仏に具わる法身・報身・応身という三つの側面、すなわち真理、智慧、慈悲)がもともと具わっており、妙法の働きによって、おのおのの本来の姿を改めずにそれらを顕すことができる”(同ページ、趣旨)と仰せです
 そして、その分かりやすい譬えとして、春になると、「己己の当体を改めずして」(同ページ)それぞれ個性豊かな色形の花を咲かせる桜、梅、桃、李の姿を挙げられています。
 人間は、十人十色であり、人ごとに外見も性格も異なりますが、妙法を信じて実践することで、“自分らしさ”を最大に開花させることができるのです

「自体顕照」の法理

 さらに仏法では「自体顕照」とも説きます。これは「ありのままの姿(自体)を、照らし顕していくこと」。つまり、「かけがえのない自分自身を正しく知り、自己の個性を最高に輝かせていくこと」です。
 仏法では、万人に仏の生命があると説きますが、大聖人は、その尊極な仏の生命を開く方途として「南無妙法蓮華経」の唱題行を説き顕されました
 御本尊を信じて唱題行を実践することで、自分の可能性や個性を開花させ、その身のままで仏になれる。つまり、最も自分らしく、自分の個性を生かしきっていくのが「信心」であり、その根本が唱題です
 その上で忘れてはならないのが、多くの同志との切磋琢磨が個性を輝かせるという点でしょう。
 別の御書で大聖人は、「悦しきかな汝蘭室の友に交りて麻畝の性と成る」(同31ページ)と述べられています。
 ――蘭のように芳しい人格の友と交われば、おのずと良き感化を受けて、麻のように真っすぐな心になり、わが生命を律し、高めていくことができる――。
 つまり、良き人々に触れていく中で、自分自身が磨かれていくのであり、その人間の中で錬磨されてこそ、「自分らしさ」に気付くことができるのです

互いの「違い」を尊重

 池田名誉会長は語っています。
 「あなたには、あなたにしか咲かせることのできない使命の花が必ずある。一人一人がもつ個性を、一番良い方向へ発揮させていけるのが信心である。飾らず、ありのままでよい。『自分自身に生きよ』とは、戸田先生の教えだ。遠慮したり、卑下してはならない。広宣流布の劇は、皆が主役である。全員が『桜梅桃李』の名優たれ!」
 「庶民の団体」である創価学会には、老若男女の垣根を越えて、さまざまな立場や職業、性格の人が数多くいます。「桜梅桃李」の個性を持った学会員が、心一つに団結するということ自体、本来は並大抵のことではありません。
 しかし、信心で結ばれた団結によって、学会員は互いに触発し合いながら、日々、成長しています。
 互いの違いを尊重し、励まし合うからこそ自らの「個性」も磨かれ輝く――。学会には、「自分らしく」生きるための要素が詰まっているのです

 世界192カ国・地域に広がるSGIの連帯。異なる人種、文化など、多様性を尊重し合い、皆が桜梅桃李の使命の分野で活躍する(昨年9月、SGI青年研修会で来日したメンバーが東京・八王子市の東京牧口記念会館で記念撮影)

理解のために
「三草二木の譬え」とは?

 法華経の七譬の一つに、「三草二木の譬え」(薬草喩品第5)があります。
 その内容とは、世界中に生い茂る草木は、さまざまな種類があり、一つ一つ異なる名前や性質を持っているが、どんな草木も雨が降り注ぎ、太陽の光を浴びることで、それぞれが、それぞれにしかない個性を発揮して花を咲かせ、実を結ぶ、というものです
 この草木は衆生の機根(仏法を受け入れる能力)に相違があることに譬えられ、雨は、いかなる衆生にも慈雨を注ぐ仏の大説法に譬えられています。
 仏の慈悲の平等性と衆生の多様性を強調したこの譬えは、私たちに、一人一人の個性を尊重し、生かそうとする「仏の慈悲」「智慧の深さ」を教えてくれています。
 池田名誉会長はこの譬喩を通して、「大事なことは『人間の多様性を認めるところから、仏の説法が出発している』という点です」「個性を愛し、個性を喜び、個性を生かそうとする――それが、仏の慈悲であり智慧です」と述べられています。
 あらゆる人々を尊敬し、それぞれの使命を最大限に発揮させていく仏法思想は、現代においても大きな輝きを放っています。