片付けコンサルタント
八木幸子です。
昨日は
親族の葬儀に参列してきました。
控室には故人を偲ぶ
思い出の品や
生前のお写真が飾られた
メモリアルボードが。
趣味のゲートボールの道具
旅行の思い出の写真
活発に楽しく過ごされていた
様子が伝わります。
「その人を表すもの」
として遺族の方々が
選ばれたものですね。
ワタシだったら・・・
迷うことなく
テニスラケットとボールは
置かれる模様・・・
![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/045.gif)
だけどそれって
まぎれもない「私」って
わけじゃない。
写真とは違う形の
自分が生きてきた証ってなんでしょう。
自分がした事や
何か手がけたもの。
自分を思い出してくれて
遺せるもの。
それが
人の役に立つものであったり
人がちょっと幸せを感じたり
何かいい影響を与えられるもの
だったら。
自分にとって
どんなに幸せなことでしょう。
亡くなってから
そうしたことが形になって
遺せなくても、
自分がそうしたものを
遺したい。と思って
それに向かって努力して
幸せに生きていく
ってことが
「よく生きた証」として
遺せるものかも。