『生きることは頼ること』戸谷洋志(2024 講談社) | 倉山塾東北支部ブログ

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生きることは頼ること 「自己責任」から「弱い責任」へ (講談社現代新書)

 

本書は責任の話である。

後半の内容は理解が追いつかなかったが

本書の意義は新たな責任論を

提唱したことにあると思う。


自己責任と弱い責任の違いは人間観にある。


著者はまず自己責任を強い責任とする。

そして強い責任の人間観は

人は他者の助けなしで、

自分一人で物事を選択し

行為する存在と考える。


一方で著者が提唱する弱い責任の人間観は

人は一人で生きていけず

他者に頼らなければならず

傷つきやすさを抱えた存在と考える。


弱い責任における人間は

強い責任における人間より

弱々しく映る。


弱い責任では他者の助けを

前提としている点で

強い責任とは異なる。


そのように理解すると

会社で既に弱い責任を

実行していないかと思った。


報連相しながら上司や先輩の力を借り

顧客の要求に沿うように業務を遂行する。

一人であれこれ判断して

執務するわけではない。

なので会社で働く以上は

弱い責任を実行する場合が

多いように思う。


強い責任はプライベートでなら思い浮かぶ。

たとえば家電やセミナーなど

欲しいものを選び、お金を払い、商品を得る。


ここまで自分一人で選択し行動している。

買った物が期待するものでない場合

誰のせいにもできない。

選んだ人は自分だからである。

この点では自己責任である。


弱い責任は完全な自己責任でも

無責任でもない。

一つの責任の形である。

本書で責任に対する見方が変わるだろう。
 

 

 


【編集者後記】

 

世の中、強くなければ困る存在もあります。

例えば、軍隊。

軍が弱いと国家を、ひいては同胞の命を守れません。


しかし、個々人の生き方という点では、

必ずしもそうとは限らないものです。

一時期、本文で言うところの

“強い責任”、「自己責任」

がよく言われていた時期があったように思います。


確かに自分の行為に責任を持つのは当然です。

しかし、あまりにもそこだけ強調しすぎると、

かえって生きづらい世の中になってしまいます。


まだその残滓が感じられる場面もありますが、

もう少し生きやすい、優しい世の中を

作らねばな、と思わされますね…