読書感想文:神社新報社 編『神と杜―23人の小品集(神社新報ブックス8)』 | 倉山塾東北支部ブログ

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神社新報社 編『神と杜―23人の小品集(神社新報ブックス8)』(神社新報社 1994年)読了。

 

様々な分野の様々な視点から「神と杜」について論じたものを集めたものである。

 

これ以前の本シリーズでは、神・神社とみどり・森について書かれたものは2冊(『神社とみどり』『護れ鎮守のみどり』)あったので、そういう点からは同じようなテーマを扱うものとしては第3弾と言えるものである。

 

さて、本書でとりわけ印象に残ったのは、「モリ」「ヤシロ」といった日本語の意味、「社」と「杜」の違い、といった日本語に関わるものである。

 

「モリという言葉そのものは、元来は樹木の繁茂しているところを意味したのではない」(p52)

 

「要するにモルとは、シルと同様、シメ繩(斎垣・青垣山にもなる)をめぐらすことによって、他からの侵入を禁呪(タブー)する行為(はたらき)を意味する」(p55)

 

「ヤシロは、斎垣やシメ繩をとりめぐらせて他から区劃せられ、その中に入ることを禁呪(タブー)された、神の占有する聖地を意味する」(p53)

 

「ヤシロとは、「神を祭るために仮小屋を設けた一区画」を言ったもので、「神の屋の領地(しろ)」の意である」(p118)

 

 

「モリ」「ヤシロ」といった言葉の本来の意味を考えることはこれまで無かったので、なるほどと思った。

 

特に「ヤシロ」であるが、上の引用でいうと「領地=シロ」であり、これは統治するという意味の「シラス」に通じるのであろう。

 

神の聖域としての「社」と、天皇が「シラス」日本。

 

意味を考えると、重なって見えてくるものである。