スティーブ・ライヒ聴きながら料理してたら、なんだか料理っていう思考実験してるみたいな気がしてきておもしろい。
こういう思考の展開を、アウトプットを料理にしてやってみたらおもしろそう。
てかライヒは狂ってるよね。これライブでやるんだもんなぁ。
わたしはカオスからなにかをひょいっと取り出してくる料理をすることが多くて(最近はタイ料理にちょっと傾倒してるきらいがあるんだけれど。スパイスとか。)、出発点も終着も決めないことはよくある。
なんとなくこんな感じの、こうなんていうか、むにゃっとしてて、かつシュッとしてるんだけど尖ってないやつ。みたいなノリです。言語ベースにすると擬音語に頼らざるを得ません。あとは色とか音も含んでる。だから料理するときに聴く音楽はけっこう重要。
普段は結構パキパキにメタ思考したり理路だてて考えることが多いわたしですが、写真を撮るときとか料理をするときなんかはふわっとした思考になります。そのときの思考プロセスはだいたいいつも言語の上に載せては説明できない。
非言語的な思考運用はノイズキャンセリングのためのシャットダウンアクションとは違うし、ルーティーンをただ無思慮にこなす思考停止とも違う。何も考えてないのではなくて身体でとことん思考することです。
で何が言いたいかというと、自分の利益とかお金儲けのことばっか考えてる「集客UP!アフェリで稼ぐ!」とか「簡単バ○トアップ★」とかいう無思考なペタの人はお呼びでないということです。ほっとけ。
官房長官みたいな窓口わたしも欲しいなー。
誰かツイッターやフェイスブックに通じてる人、わたしになりすまして広報してくれま選科。
アンチソーシャルメディアなもので。
いや、こうやってアメブロやってるわけだけども、どうもこれを手がかりにどんどんつながりを拡げていけないタチというか。
反社会的ってわけじゃないよ、わたし。
誰かツイッターやフェイスブックに通じてる人、わたしになりすまして広報してくれま選科。
アンチソーシャルメディアなもので。
いや、こうやってアメブロやってるわけだけども、どうもこれを手がかりにどんどんつながりを拡げていけないタチというか。
反社会的ってわけじゃないよ、わたし。
明日は作品搬入!設置!
急遽決まったもんだから焦ってDM作ってるところにヨギーからスカイプがかかってきて。
わりと神妙な感じだったのでお話することに。
最初は坂口恭平さんヤバいよねーって話で。
都市型狩猟採集生活を提唱しているナイスガイです。
わたしはウェブサイトとツイートを見てるくらいなんだけど、突き抜けっぷりがすごい。
実はなんと坂口さん、わたしとヨギーの共通の友人の友達みたいで。
友人も面白い人だけど、そういう人たちって繋がってるものなのねー。
先日ブログにも書いたMGさんの話をヨギーにしたら岡田斗司夫の評価経済の話になったんだけど、その日の夜にツイッター見てたらその二人が繋がる現場に出くわしたし。
ヨギーはヨギーで院試受ける子に論文の助言を頼まれて、論の構築の仕方を教えてたらなぜかその提出先の教授に気に入られて、「キミ、面白いからウチのゼミ来なよ」とかってなって学生じゃないのに研究室行ってるし。
ちなみにその風変わりな教授から誘いを受けたのは、教えてた子が無事試験に受かったお祝いをしてたときのタコ焼き屋でのことらしいです。
でまあヨギーは坂口さんみたいな脳みそにドライブかかりっぱなしな思考が、行動と一体になってる動き方を見てると「自分はぜんぜんうまくできてないなー」と思っちゃうらしいのです。
うんー、わかるよ、その気持ち。
ただね、坂口さんもそうだけど、わたしがすごいなーと思う人たちを見てて彼らに共通してると感じるのは、
みんなルールを自分で作ってるっていう点です。
すでにあるルールに自分をはめて行動をすると、自ずとそこでの戦い方やうまくやるコツを学習しなければならなくなります。
だから、いかに自分の土俵を作れるかが自分がもっとも軽やかに振舞えるためのヒケツなんだと思います。他人の方法論がとても秀逸に見えたとしても、それを自分に適用するためには、場合によってはその前提作りから始めることになるかもしれません。その時点ですでに相手のルールで戦っていることになります。
見習うところはメモしつつ、やはり自分の扱い方に熟達するほかない。
丸山真男のいうように「キョロキョロする」のが日本人の民族性なのだとしたら、その癖を自覚し、どううまく付き合っていくかを考えることが我々日本人の取るべき道だと、内田樹センセイは『日本辺境論』で説かれていました。
わたしも「思考の回し方と行動へのフィードバック」の点では自分のやり方をあまり評価していません。
でも、しょーがないよね、こうなっちゃうんだから!という点を認めて、そこを無理に矯正しないでうまく折り合ってゆくのがいちばんいいんじゃないかと思っています。
ただ向上心と課題意識は持たなきゃいけない。
さしあたってわたしは“まあこんなもんでいいんじゃないの”という気楽さを持つことを課題としたいなと、入稿期限が迫っているのにいつまで経ってもDMのデザインに納得がいかず(>'A`)>ウワァァ!!となってる深夜1時に思いながら、逃避してこのブログを書くのでした。
軽やかに生きたい。
急遽決まったもんだから焦ってDM作ってるところにヨギーからスカイプがかかってきて。
わりと神妙な感じだったのでお話することに。
最初は坂口恭平さんヤバいよねーって話で。
都市型狩猟採集生活を提唱しているナイスガイです。
わたしはウェブサイトとツイートを見てるくらいなんだけど、突き抜けっぷりがすごい。
実はなんと坂口さん、わたしとヨギーの共通の友人の友達みたいで。
友人も面白い人だけど、そういう人たちって繋がってるものなのねー。
先日ブログにも書いたMGさんの話をヨギーにしたら岡田斗司夫の評価経済の話になったんだけど、その日の夜にツイッター見てたらその二人が繋がる現場に出くわしたし。
ヨギーはヨギーで院試受ける子に論文の助言を頼まれて、論の構築の仕方を教えてたらなぜかその提出先の教授に気に入られて、「キミ、面白いからウチのゼミ来なよ」とかってなって学生じゃないのに研究室行ってるし。
ちなみにその風変わりな教授から誘いを受けたのは、教えてた子が無事試験に受かったお祝いをしてたときのタコ焼き屋でのことらしいです。
でまあヨギーは坂口さんみたいな脳みそにドライブかかりっぱなしな思考が、行動と一体になってる動き方を見てると「自分はぜんぜんうまくできてないなー」と思っちゃうらしいのです。
うんー、わかるよ、その気持ち。
ただね、坂口さんもそうだけど、わたしがすごいなーと思う人たちを見てて彼らに共通してると感じるのは、
みんなルールを自分で作ってるっていう点です。
すでにあるルールに自分をはめて行動をすると、自ずとそこでの戦い方やうまくやるコツを学習しなければならなくなります。
だから、いかに自分の土俵を作れるかが自分がもっとも軽やかに振舞えるためのヒケツなんだと思います。他人の方法論がとても秀逸に見えたとしても、それを自分に適用するためには、場合によってはその前提作りから始めることになるかもしれません。その時点ですでに相手のルールで戦っていることになります。
見習うところはメモしつつ、やはり自分の扱い方に熟達するほかない。
丸山真男のいうように「キョロキョロする」のが日本人の民族性なのだとしたら、その癖を自覚し、どううまく付き合っていくかを考えることが我々日本人の取るべき道だと、内田樹センセイは『日本辺境論』で説かれていました。
わたしも「思考の回し方と行動へのフィードバック」の点では自分のやり方をあまり評価していません。
でも、しょーがないよね、こうなっちゃうんだから!という点を認めて、そこを無理に矯正しないでうまく折り合ってゆくのがいちばんいいんじゃないかと思っています。
ただ向上心と課題意識は持たなきゃいけない。
さしあたってわたしは“まあこんなもんでいいんじゃないの”という気楽さを持つことを課題としたいなと、入稿期限が迫っているのにいつまで経ってもDMのデザインに納得がいかず(>'A`)>ウワァァ!!となってる深夜1時に思いながら、逃避してこのブログを書くのでした。
軽やかに生きたい。