レイハラカミ、もう、いないんだよね…
彼の音楽を聴きながら
夜遅くのごはん食べてる。
なんか生活リズムがおかしくなってるや。
直さなきゃ。
yanokami - Night Train Home
夕暮れ刻の堤防沿いを歩くのが好き。
歩いてるうちに日が沈む。目に映るものの境界が曖昧になってきて、グレーの泥みたいに見えてくる。分かるのは山の稜線と川を流れる水音だけ。
空を飛ぶ鳥たちの動きはシルエットとなり、行き交う人びとも泥の闇に溶け込んでいく。
人間も自然の一部なんだなぁと思う。
わたしも、いま隣を走って通り過ぎて行ったおじさんも、地球の中の細胞のひとつみたいなものなんだよね。
ふと、自らの身体さえも景色と一体になって、わたしは自分が視点だけの存在になっていることに気づく。
このまま、Powers of Tenみたくスーッと上昇していっちゃえばいいのに、と思ったところで、目の前を行き交う車のヘッドライトがわたしを現実に連れ戻す。そっか、橋に着いたんだ。(橋が散歩のゴールなのです)
さぁ、帰ってごはんにしよう。
iPhoneからの投稿
歩いてるうちに日が沈む。目に映るものの境界が曖昧になってきて、グレーの泥みたいに見えてくる。分かるのは山の稜線と川を流れる水音だけ。
空を飛ぶ鳥たちの動きはシルエットとなり、行き交う人びとも泥の闇に溶け込んでいく。
人間も自然の一部なんだなぁと思う。
わたしも、いま隣を走って通り過ぎて行ったおじさんも、地球の中の細胞のひとつみたいなものなんだよね。
ふと、自らの身体さえも景色と一体になって、わたしは自分が視点だけの存在になっていることに気づく。
このまま、Powers of Tenみたくスーッと上昇していっちゃえばいいのに、と思ったところで、目の前を行き交う車のヘッドライトがわたしを現実に連れ戻す。そっか、橋に着いたんだ。(橋が散歩のゴールなのです)
さぁ、帰ってごはんにしよう。
iPhoneからの投稿
長らくいい使い方がわからなかったスイートバジルペーストをやっと今日うまく使うことができました。単品で使うとどうやっても前に出て来すぎるので、扱い方に困っていたのです。プーパッポンカリーよろしく溶き卵と絡めてみたらなかなかいい塩梅でした。今日は鶏肉を使ったんだけど、おそらく魚介を加えるのがもっともスイートバジルのいいところを引き出す方法なのだろうと思います。鶏肉では少しパンチが足りない。
同時に、別の料理でマンゴーチリソースとたまねぎの相性がよくないことも発見。単にわたしの好みの問題だけど。
でも素材や調理方法を管理してコントロールしようっていうやり方は、なんかこう、自然に対するアメリカの態度みたいであまり好ましくないなぁ、と思います。
西洋のお菓子作りなどは作り方と分量がちゃんと管理されており、そのぶんそれにきちっと従って作れば失敗することはあまりありません。もし失敗したとすれば、それはやり方か分量になにか問題があったのであり、検証すれば原因がおおかた特定できます。とても合理的で、構築的なもののつくり方です。
以前ともだちにスコーンの作り方を聞かれて教えてあげたとき、彼女は「えー、量るの?目分量じゃだめ?麦こがしみたいに。」とブツクサ言っていましたが、気持ちはよーく分かります。けれど量ったほうがうまくいくのです。確実にそのほうが手っ取り早いのです。
まあスコーンとかパンケーキくらいなら目分量でもできないことはないし、相当やらかさない限り破綻はしないのだけど、パンみたいに発酵過程が入るものは厳密にしたほうがいい。経験則として。
でも基本的にはふわっと、素材の出方とうまく付き合うほうが好きです。
だから自然とお菓子よりも融通が利く料理のほうを重点的にやるようになる。
日本人の食との付き合い方で好感が持てるのはそのやわらかさ。
手指を使った量の測り方とか、「ひたひた」のような捉え方を、とてもやわらかで女性的だと私は感じます。おおらかで懐が深い。お母さんみたい。
色の名前のつけ方もやわらかいよね。
瓶覗き(薄い藍色)とか濡烏(ツヤのある黒)とか、なにかと情感的。
そういえば杉本博司さんは海景シリーズの海の写真を撮るときは露出計をあてにしないで、とらやの羊羹「おもかげ」(だったと思う)が切れるかどうかの明るさを基準にするんだそう。陰影礼賛。
ちなみに日本の色には羊羹色ってのがあります。
日本の美意識をもっと日常的に感じていきたいなと、つくづく思います。
日本料理、勉強したいな。
同時に、別の料理でマンゴーチリソースとたまねぎの相性がよくないことも発見。単にわたしの好みの問題だけど。
でも素材や調理方法を管理してコントロールしようっていうやり方は、なんかこう、自然に対するアメリカの態度みたいであまり好ましくないなぁ、と思います。
西洋のお菓子作りなどは作り方と分量がちゃんと管理されており、そのぶんそれにきちっと従って作れば失敗することはあまりありません。もし失敗したとすれば、それはやり方か分量になにか問題があったのであり、検証すれば原因がおおかた特定できます。とても合理的で、構築的なもののつくり方です。
以前ともだちにスコーンの作り方を聞かれて教えてあげたとき、彼女は「えー、量るの?目分量じゃだめ?麦こがしみたいに。」とブツクサ言っていましたが、気持ちはよーく分かります。けれど量ったほうがうまくいくのです。確実にそのほうが手っ取り早いのです。
まあスコーンとかパンケーキくらいなら目分量でもできないことはないし、相当やらかさない限り破綻はしないのだけど、パンみたいに発酵過程が入るものは厳密にしたほうがいい。経験則として。
でも基本的にはふわっと、素材の出方とうまく付き合うほうが好きです。
だから自然とお菓子よりも融通が利く料理のほうを重点的にやるようになる。
日本人の食との付き合い方で好感が持てるのはそのやわらかさ。
手指を使った量の測り方とか、「ひたひた」のような捉え方を、とてもやわらかで女性的だと私は感じます。おおらかで懐が深い。お母さんみたい。
色の名前のつけ方もやわらかいよね。
瓶覗き(薄い藍色)とか濡烏(ツヤのある黒)とか、なにかと情感的。
そういえば杉本博司さんは海景シリーズの海の写真を撮るときは露出計をあてにしないで、とらやの羊羹「おもかげ」(だったと思う)が切れるかどうかの明るさを基準にするんだそう。陰影礼賛。
ちなみに日本の色には羊羹色ってのがあります。
日本の美意識をもっと日常的に感じていきたいなと、つくづく思います。
日本料理、勉強したいな。

