結び終わったところでちょうど荷造り紐がなくなった。
途中何度もページを繰りそうになったけれど、それをやってしまうと今日中に終わらせられない自信があったので押しとどめた。
それで、ベートーヴェンの交響曲をかけることにした。
ベートーヴェンが見ていると思うと、寄り道をしているわけにはいかない。
彼はきっと自分の人生の時間が足りないと思ったことだろう。
(どうでもいいけど、どうしてベートーヴェンは荘厳ミサ曲を書いてレクイエムを書かなかったのだろう?)

さて、親愛なるルートヴィヒの監視のもと無事に荷造りを終えましたが、今度は大量のブックスタンドと本棚が新たなゴミとして残されました。こうなったらこれも捨てるか。
えーと。
わたしは憧れとともにあった過去を捨てたいと思って本を捨てることにしたのです。
ファッション誌にカルチャー誌、写真集や画集、小説にエッセイ。
過去に読んだ本の履歴を追ってみると、そのときそのときのわたしの憧れが手に取るように分かる。
でもわたしはもう憧れを追うことをやめるのだ。
昨日、振る舞いがデッドリーラブリーなピグ友の女子に強烈な憧れとジェラシーを感じたのですけど、それも捨てる。
わたしはその憧れたちをトレースしているわけにはいかないのだ。
K川先生が言っていた。
生活は簡単に、
長い年月をかけて
思考は単純に。
そう、簡単で、単純でいいのだ。
自分の素性だけで十分なのだ。
獲得したものは、囲っておかなくてもすでに自分の一部になっている。
知識も、感覚も。
獲得していないものを必死に追うことなんてないのだ。
憧れって、とっても肩に力の入った自己トランス状態だと思うのです。
わたしはどちらかというと脱力の自己トランスを獲得したいのです。
ヨガはそのための訓練なのです。
力を抜かないとできない。
「本当は問題なんて何もない。自分が作り出してるだけだ」
とは友人の言ですが、わたしもまったく同感です。
力んで呼吸が乱れるとき、目の前にあるものを問題と捉えるのだと。
こころは平静に、野を駆ける穏やかな風のごとく。
さて、CDも捨てるか。