くらりん☆のふらふらチルアウト日記 -24ページ目

くらりん☆のふらふらチルアウト日記

フラ~っとブラ~っとeverydayチルアウト☆

部屋の片付けの最中に出てきた昔読んだ本をふと手にとって、休憩がてらコーヒーを片手にパラパラめくってみる。

それは10年前のカウンターカルチャーのアングラ本で、まだDCPRGを始めたばかりの菊池成孔氏の「DCPRGに関する計画の50%」と題するテクストが掲載されていた。

そういや昨日CDを整理したときにDCPRGの「アイアン・マウンテン報告」が出てきたっけか。
ちょうどいいや、再生。
2001年リリースだから、はぁー9年前はこれ聴いてたのかわたし。まだ10代のわたし。
結局マイルスもフリージャズも好きになれなかったな。
さっきこれの前にかけてたCDはベルリオーズのレクイエムだもんな。

某誌のインタビューで菊池氏はロック不感症だって言ってたけど、私には破壊衝動とかまるっきりなくて。


氏は戦争状態の真っ只中に居ることを目的としてDCPRGを始めたって文章に書いてた。
戦争とはある日突然やってきて否応なく巻き込まれる理不尽なもので、一度そこに身を置けば必死に動き回るほかない状況。平和ボケの中での戦争状態でカタルシスを得ることが目的だって。
まあ男性的。
音楽的にはデスとピースな音楽の中間地点を狙ってるとな。
基本的にはダンスミュージックだって別のインタビューでは言ってたけど。

村上春樹が「1Q84」を書いたきっかけとして地下鉄サリン事件→「アンダーグラウンド」があって、理不尽に巻き込まれる危機的状況のことに言及してたのを思い出した。


わたしは日ごろ起きるどんなこともすべて差のないフラットなものだと捉えてるフシがあって、それを大したことだとか取るに足らないことだとか峻別分類してるのはあくまで私の主観なわけですよね。
どんなことも起こり得るし、愛する人が死んでも、自分にこれとない幸運が訪れたとしても、それらは世界にとって何一つ決定的なことにはならない、というかわたしにとってもならない。
それは世界を構成しているのは内なるわたしそのものであって、親鸞のいうところの「地獄に行くもわれ一人、浄土にまいるもわれ一人、ひとえに親鸞ひとりがためにけり」の心境というかね。


話がそれまくったな。

10年前の本を閉じて、さっきまで目の前にあったやらなきゃいけないことをあらためて目にしたとき、そこにある温度差にめまいがした。
しばらく意識が乖離して、まるで他人の身体の他人の目線を借りてるようなかんじがした。
マルコビッチの穴的なね。


それにしても温度差とか言って、じゅうぶんに自分でものごとに差異をつくってるな。




はーおなか空いたけどひとまず片付けをやっつけちゃおう。
バイ。
多摩湖自転車道をサイクリングしてきたー。

井の頭通りの終点から始まって、多摩湖付近までの道のりは平坦なんだけど、多摩湖の周回に入るとけっこうアップダウンが。全部で21.9km。
なかなかいい運動になりますた。
木々の間を走り抜けるのが気持ちいい。

ただ、多摩湖はかなり広いものだと勝手に想像してたもので、周回道があっさり終わったときはちょっと拍子抜けでした。
なんだか物足りなくて2週目にトライしようとしたのだけど、おなかが減ってきたのでやめました。



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多摩湖ー。
湖にかかった橋の上から撮っただよ。
向こう側に見える白いのは西武ドーム。


休日なせいもあってか、けっこうたくさんの人が走ってた。
ロードにママチャリ、キッズ自転車からランナー、散歩に来てる近所のおばあちゃんまで多種多様。
すれ違うのに困るほど混んではいなかったけど、次はもっと人が少ないときに行きたいなぁ。
早朝とか。
んで、橋の真ん中で東を向いてヨガするのだ★

でもそうなると多摩湖までが長いなぁ。
つーかテンションがアッパーになってるよ、そんだけ漕いだあとじゃ。


誰か車で連れてってください。
やべ、目的が変わっちった。
どうして自販機にはホットとアイスしかないのだろう?

わたしは常温で飲みたいのに。


どうして冷房の翌日が暖房なのだろう?

空調を使わない日があってはいけないことになっているのかもしれない。


多くの人々が社会的中庸を求めるのに、温度に中間の需要はあまりないらしい。