死傷者は日増しに増える一方で、行方不明者も相当な数に上り、多くの方が被災地で困難な生活を強いられています。
亡くなった方々のご冥福をお祈りするとともに、被災地に一日も早く平穏が訪れることを切に願っております。
わたしは幸いにも被害に遭うことはありませんでした。
住んでいる地域が計画停電に組み込まれているくらいで、それくらいの不便はよろこんで受けます。
昨日今日と計画停電が予定されていましたが、実施は回避されました。
実際には一部の地域で行われたようです。
実施地域の一覧を見ていると、あることが目に留まりました。
千葉県の旭市というところ。
なんとここは津波の被害に遭った被災地でした。
その被災地に停電の措置?
というのもまあ疑問なのですが、今回わたしがひっかかったのはその点よりも、そこが以前わたしがお付き合いをしていた看護士さんが住んでいたところだということです。
わたしを含めまわりの近い人たちには直接安否が心配される被害に遭った方はいなかったのですが、そこに急遽、彼が浮上しました。
もう何年も前の話ですっかり忘れてしまっていました。
ところが彼のことを思い出していくと、次々と不穏なことが浮かび上がってきました。
わたしは別れてしばらくして彼からひょいと届いた一通のメールのことを思い出しました。そこには実家のほうに戻って仕事を探すかもしれない、返事をくれたらうれしいと書かれていました。
返事はしたものの彼からの返信はなく、それ以来連絡は途絶えてしまいました。
彼は仙台の出身でした。
ご存知の通り仙台市は今回の津波で甚大な被害を受けました。もし彼が仙台にいるとしたら、被災している可能性があります。仮に旭に留まっていたとしても、こちらも被災地にあたります。
思いもしなかった状況に、天地が逆さになったような、上下反転がいつまでも続く永遠の落下に落とされてしまったような気持ちになりました。
彼の死を考えると吐き気がしました。
直接の家族と連絡が取れない方のことを思えば遠い存在ですが、このことがわたしにとっての今回の災害を遠くで起こった悪夢から急に現実味を帯びたどろどろした沼のような存在へと変えました。
わたしも繋がっているんだ。
その沼はわたしの足を捕らえている。
残念ながら彼と連絡をとる方法はありません。
手紙も残ってはいないし、メールアドレスも電話番号もわかりません。
共通の知人もいません。
彼の勤めていた病院に電話をして彼の実家の連絡先を聞くことはできるかもしれませんが、おそらく教えてはくれないでしょう。
それになんといってもわたしは彼にとって過去の人間なのです。
躍起になって安否を確認するような関係ではありません。
あるいはまったく別の土地に移っているかもしれません。
わたしの不安は杞憂かもしれないのです。
わたしにできることはただひとつ、彼の無事を祈ることだけです。
「祈り」と「繋がり」というのはわたしの制作において重要なキーワードのひとつです。せめてものお祈りに、わたしはこのことを題材に作品を作ろうと思います。
祈ることはとても主体的な行為です。
届けばそれは素晴らしいことだけれど、届くかどうかはそんなに重要ではないのです。
重要なのは結果ではなく過程。
わたしは「~を表現する」というトランスレートのかたちが好きではありません。もっと直接的でいい。それがなにかをうまく説明できなかったとしても、ロスして不完全な類似的説明でお茶を濁すことはないと思う。
説明は、説明が上手な人がやってくれればいい。
わたしは、祈るだけ。

【追記】
3月15日、宮城県警より行方不明者の一覧が公開されました。
http://www.police.pref.miyagi.jp/hp/jishin/yukuehumei/yukuehumei.html
リストに彼の名はありませんでした。
