藤と亀 | Kura-Kura Pagong

Kura-Kura Pagong

"kura-kura"はインドネシア語で亀のことを言います。
"pagong"はタガログ語(フィルピンの公用語)で、やはり亀のことを言います。

 

 東京の亀戸天神へ行ってきた。天神様というからには梅林もあるし、合格祈願の絵馬も多数奉納されているが、ここの名物は藤の花(を主人公とした『光る君へ』だが、そこに登場する貴族たちの殆どが藤原姓である。藤原一族は、西暦645年、中大兄皇子(天智天皇)が政権を取り中央集権体制をつくることをたすけた中臣鎌足が中大兄から藤原姓を与えられことを始まりとする。紫式部はそれより300年以上後の人物だからその間に藤原一族は大きく広がっていた。

 

 藤といえば、紫式部が著した『源氏物語』も藤尽くしだ。主人公光源氏は父帝の後添えとなった女性に恋し、それが満たされないために女性遍歴を繰り返す。光源氏の初恋の女性は藤壺と呼ばれる。

 若き光源氏は一人の少女と遭遇する。その少女の美しさに魅かれた彼は、少女が初恋の女性の姪だと知ると、彼女に執着し、誘拐して自分好みの女性に育てる。当時でも犯罪となる行為だが、こうして光源氏が妻とした女性は紫の上と呼ばれる。藤壺から連想される名前だ。

 そもそも、光源氏のモデルとされる人物は紫式部と同時代の人物で、貴族政治の頂点を極めた藤原道長である。

 

 

 亀戸天神の境内、神門と本殿とを結ぶ参道には2本の橋が架けられている。いずれもアーチ状の太鼓橋だが、これが江戸時代以降の日本文化に大きな影響を及ぼしている。

 現在、女性が和装をするとき、大抵の場合帯を背中のところで膨らませる「太鼓結び」で結ぶが、これは江戸時代深川芸者が亀戸天神の太鼓橋を渡り初めするときに結んだ結び方が同時代の女性たちに流行したのが始まりだという。

 

(下にシェアするのは友人の呉服屋がブログで太鼓結びの歴史についてまとめたもの)

 

 

 

 

 ところで、肝腎の藤だが、盛が過ぎていた。今年は3月、4月と寒暖の変化が激しく、花の盛りの予想が難しかった。自然というのは思うようにならないものだ。

 

 

 でもって、私が替わりに眺めたのは亀である。

 衆生放生(しゅしょうほうしょう)といって、仏教界には捕らわれている生き物を自由にさせると御利益がある、という考えがある。亀戸天神は神社だが、明治維新前は「神」と「仏」の区別は曖昧だったから、神社でも生き物が放たれたのだ。ましてやここは亀戸天神である。

 

 それにしても放たれた亀はミシシッピアカミミガメ(ミドリガメの成体)が多い気もするが…。

 

 

 

 

 

 

 おっと!池には亀だけでなく鯉や鷺もいるよ!

 

 

 この日、亀戸天神には老若男女、さまざまな人たちが休日を楽しんでいた。中には黒いスカーフを被ったイスラム教徒らしい女性たちもいた。イスラム教は厳格な一神教で寛容性がないから…、などという人もいるだろうが、寛容性のない人たちが異教の礼拝施設で花を眺めたりするだろうか。

 

 2024年4月28日、大型連休2日目とされる日の暑いあつい日である。