電車で車庫へ行った話 | Kura-Kura Pagong

Kura-Kura Pagong

"kura-kura"はインドネシア語で亀のことを言います。
"pagong"はタガログ語(フィルピンの公用語)で、やはり亀のことを言います。

 電車に乗っていて、その電車が終点に近づく、そうすると車掌が

「この電車は○○駅に到着後、車庫に入ります。どなた様もお忘れ物のないようお降りください。」

とアナウンスをすることがある。電車の車庫、電車区、操車場、客車区、機関区といろいろな呼び名があって、国鉄がJRになってからは車両センターと呼ばれる車庫もあらわれた。

 その車庫へ、乗客が電車に乗っていくことはあり得ない。上野駅から東北本線や高崎線の各駅停車に乗ると、次の駅は尾久駅である。この駅のホームに立つと眼の前に尾久車両センターと言う車庫があって、昼間だったらたくさん電車が停まっているのが見えるが、乗客が立っているその場所は車庫の構内ではなく車庫の隣の駅である。車庫の一般公開イベントで見学者のために車庫構内行きの列車が運行されることがあるが、それを除けば一般乗客が電車で車庫構内へ行くことはない。

 

 ところが、私の母は鉄道員でも鉄道ファンでもないのに電車で車庫へ行ったことがあるのだ!

 

 それは1968年、母が20代の時のことだった。当時母は東京都大田区内に親と同居で住んでいて、銀座のオフィスで事務の仕事をしていた。

 ある日のことである。母が定時で仕事を終え、有楽町駅から京浜東北線の電車に乗って帰ろうとしたのだが、そのとき駅のホームで何者かが暴れて火炎瓶を投げ、その火炎瓶が母の乗った電車にも飛び込んできた。幸い、その火炎瓶が火を出すことはなかったが、列車はそこで運転打ち切りとなり、車両は車庫で現場検証を行なうため蒲田電車区へ回送となった。母は火炎瓶の飛び込んだ電車から降りて次の電車で家へ帰るつもりだったのだが、そのとき他の乗客が駅に駆け付けた警察官に

「火炎瓶の中身があの女の子の服に付いた。」

と言ったものだから、母は警察官から現場検証に立ち会うよう言われ、そのまま回送列車に乗って蒲田電車区へ行く羽目になった、と言うわけだ。な

 

 私が小さいころから母はこの話を私にした。大人になってから、あの火炎瓶を投げた男は何を主張していたのか、と母に聞いた。だが、あの頃も今も母はニュースに無頓着だから、分からないとしか答えない。

 

 あの頃盛んだった運動の一つがベトナム反戦運動だ。ベトナムの内戦にアメリカ合衆国が干渉して戦火が拡大したあの戦争だ。当時日本は「平和憲法の縛り」が効いていたから自衛隊を戦地に派遣することはなかった。しかし、替わりに兵士を休ませ、枯葉剤を含む軍事物資を供給する米軍の兵站基地として日本列島は機能した。それに対して異を唱える者が数多くあらわれたのだが、ごく一部の者は武力で反戦を訴える、ということをした。

 また、この年は学生運動が盛んになった年だ。大学生や高校生がさまざまな主張を掲げて戦った。

 

 さて、若き日の母は蒲田電車区へ連れていかれ、現場検証に付き合わされたわけだが、その現場検証が終わったのは夜遅くなってのことだった。電車区で現場検証するならば、普段電車の整備をする作業員のための足場があるところに電車を停めればよさそうなものだ。だが母は足場のないところから降りろと言われたという。そして若い男の制服警官に身体を支えてもらいながらなんとか電車を降り、迎えに来てくれた祖母と一緒に家へ帰ったという。その時着ていた衣類は火炎瓶の中身を分析するため任意提出となり、電車を降りるとき手伝ってくれたのと同じ制服警官がその衣類を受け取り来たそうだ。

 そのころ、母は父と見合いして婚約しており、事件から間もなくオフィスでの仕事を辞めて結婚した。翌年、生まれた赤子を抱いて里帰りしたところ、蒲田駅から実家へ行く途中の交番にあの事件の時の制服警官がいて、どちらも驚いたそうだ。その時の赤子が私である。まさか、あの時の赤子が鉄道好きとなったり反戦運動に首を突っ込んだりするとは母も制服警官も予想できなかっただろう。

 

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 こちらはJR東日本の太田運輸区、かつての蒲田電車区である。蒲田駅西口から川崎に向かって少し歩くと踏切があり、京浜東北線の本線から分岐した線路が通っている。その右側をみると日中ならば沢山電車が停まっているのが見えるがそこが蒲田電車区である。

 蒲田電車区は松本清張のサスペンス『砂の器』に登場する。明け方、一番電車を運行するため電車を点検していた運転士が電車の下に遺体があるのを見付ける。運転士は

「マグロだ!」

と叫ぶ。マグロとは鉄道員の隠語で轢死体を指す言葉だが、この遺体は他殺体で、被害者はかつて島根県で巡査をしていて、地元の人たちの人望が厚かった人物だった…。

 なお、この作品ではこの車庫は「蒲田操車場」と呼ばれている。

 

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 この写真は蛇足である。(2020年11月撮影)  

 太田運輸区の隅に、面白いものがあった。現在京浜東北線を走るE233系電車を寸詰まりにしたような車両だ。構内に駅のホームに見立てた設備が100m位離して設けられていて、その間の線路を走るようにつくられているらしい。周囲は部会社立ち入り禁止となっているから遊戯施設ではない。おそらく乗務員の訓練のための車両だろう。