映画「アイヌモシリ」 | Kura-Kura Pagong

Kura-Kura Pagong

"kura-kura"はインドネシア語で亀のことを言います。
"pagong"はタガログ語(フィルピンの公用語)で、やはり亀のことを言います。

 映画『アイヌモシリ』を観てきた。現在のアイヌを描いた映画だ。

 
 舞台は阿寒湖畔である。メインキャストは地元のアイヌだが、その周囲の人物もほとんどを地元の人々が演じている、というのがこの映画の特色である。
 主人公・カントは14歳。父とは近年死別し、土産物店を営む母・エミと二人で暮らしている。
 映画の冒頭、阿寒湖の観光船の中でカントのエミが民族衣装姿でムックリという民族楽器を演奏している。土産物屋が立ち並ぶ「アイヌコタン」に観光客向けの案内放送が流れる。アイヌが観光資源として消費される環境の中、カントは中学を出たらこの地を離れたいと考えている。
 夏休みのある日、父の親友だったデボはカントをキャンプに連れ出す。森に入るときは神々に挨拶するのだとカントはデボから教わる。そしてデボは檻で飼っている子熊をカントに見せて、一緒に子熊の面倒をみようという。
 カントは眼を輝かせて子熊の世話を始めるのだが、その子熊がイヨマンテ(熊送りの儀式)で殺されることは知らされない。やがてカントは他のアイヌの大人から事実を聞かされて怒るのだが…。
 
 映画で印象的な場面がある。土産屋に入ってきた観光客がエミの声を聞いて
「日本語お上手ですねー!」
と言い、エミと記念写真を撮る。明治以降、アイヌが日本の多数者に同化させられた歴史なんてこの観光客には関係ないのだ。このやり取りで、私はあるアイヌの知人とのやり取りを思い出した。
 アイヌ語では亀をイチンゲというのだが、私はそれを知っていて知人それを知らなかった。そのことで私は知人に何を言ったのか思い出せないのだが、その時知人は
「私たち現代のアイヌ人はいつもアイヌ語を話しているわけではないんだ。」
と怒った。その知人は彫りが深い顔をしているのだが、あの映画で観光客が発した言葉と同じような言葉を何度も言われてそのたびに傷ついたのだろう。
 
 映画のラスト、冬の早朝、儀式が終わった後の森でカントは大木の梢にとまった大フクロウの姿を見る。フクロウはアイヌ語はコタンコロカムイだが、これは「村を守る神」を意味する。カントが熊送りの儀式で何を感じたのか、中学を卒業した後どう生きるのかは分からない。しかし、自分がカムイ達とともに生きていることを少年が自覚しているのは確かだ。
 
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 この映画を観た日の夜は東京・新大久保のアイヌ料理店・ハルコロで呑んだ。別にアイヌの映画を観た後だからアイヌ料理、というわけではない。この店で呑むことは私にとって楽しいことなのだ。写真に写っているのはオハウという汁物である。昆布だしの汁物で、この店では鮭や大根、ジャガイモを具に使っている。