本日のテーマ
【死の淵から生還して気づいたこと】
わたしは22歳のときに、大きな交通事故で死の淵から生還しました。
今回は、死の淵から生還して自分自身が気づいたことをお話したいと思います。
皆さんは、自分の死をどのようにお考えでしょう?
人は誰でも寿命があり、永遠には生き続けることはできないことは知っています。
でも、本当の意味で知っているのでしょうか?……。
死に対する考えを調べるために、講演会で各地を訪れる中で60人ほどの人たちに聞き取りをしました。
「どんな人生にしたいですか?」
この質問に対し、ほとんどの人たちが、このような言葉をつけてから人生を語りはじめました。
「たぶん…」
「きっと…」
「出来れば…」
たぶん、80歳まで生きられる…
このように漠然としていました。
それに対し、一度死の淵から生還した人たち(戦争・大病・事故等の体験者)は、このように語りました。
「残された人生」
「人生の時間を大切にしたい」
「何か使命を感じる」
このようにハッキリしていました。
死をハッキリ捉えている人は、
“いつまで生きられるか?”
ではありませんでした。
「生きる」 → 「死」は、
生きるから死に向かうという捉え方は、“人生はいつまで生きられるか?”となります。
それに対し…
「死」 → 「生きる」は、
死から生きるという視点で捉えると“残された人生の時間”になります。
わたしは、これと同じように“人生は残された時間”という意識がありましたが、この取材で、まさに“これだ!”と思ったことは、
自分の人生をハッキリさせるには、まず“死を考えることからはじめる”ということでした。
わたしの発想のどこかに、このことを意識するようにしています。
いつか死を迎える、だから何をしなければならないか……。
この考え方で、チャレンジを積極的にするようになりました。
また、初めてトライすることにも、はじめからできないと決めつけず、
「できる、できない」よりも「やる価値があるか、ないか」
を先に考えるようになりました。
それは、大切な人生の時間を使うのですから、自分のチッポケナ体験や経験に合わせて物事を見ていたら、できないことが多くなり小さいものになってしまうからです。
死を意識するからこそ、“生きる意味、価値、意義”を考えることができるのかもしれません。
そして、そこからしっかりとした揺るぎない“志”ができてくるのではないかと考えます。
生きることは死を意識してこそ充実した人生を送れるという意味を、江戸時代の中期の人物が語っています。
佐賀藩士の武士・山元常朝(やまもとじょうちょ)の思想をまとめた書「葉隠(はがくれ)」にこのようなことが書かれています。
『葉隠』には「武士道は死ぬ事と見付けたり」の一文があるが、これは「すぐに死ぬ」といっているのではなく、死を日ごろから意識して覚悟を決めた人にこそ「充実した生」があるということ。
(へたな人生論より葉隠 本田有明著 河出書房新社より)
わたしはこう考えます。
「人生とは、死ぬまでの時間を生きること。その残された時間を、後悔しないよう腑に落ちる生き方をしたい」